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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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湯治の効力

 まったくどうしたことか。
 最後に投稿活動を行ったのが、2009年10月の末日だった。
 記憶では、確か、この月に2本仕上げた。
 それ以来、1本も書いていない。
 本業たる創作活動である。
            ◇
 覚えている。
 31日ギリギリで1本仕上げて、そのあと仕事を探したのだ。
 同年7月に勤めていた本屋が閉店した。
 この仕事は稼ぎにならなかった。
 だから貯金を切り崩して暮らしていた。
 閉店した後に、まだ暮らしていける最後の三箇月として、一気呵成に動いていた。今からでは信じられないくらい、状況は悪かった。身内からの攻撃もひどかった時代だ。毎日のように恥を忍んで、外に居場所を探してさまよって、原稿の下書きをしていた。
            ◇
 予定外の応募も行ったし貯金を使い果たしで、とりあえず食うための日銭を稼ぐために、11月になってから仕事を探した。
 だが、簡単にはいかなかった。
 いつも通りだが、アルバイト募集の応募ですら、まともに相手にされない。
 確か、4時だか5時の早朝の清掃員の仕事すら断られた。
 焦ったけれど、どこか分かっているものがあったせいもあり、この結果を受けても「話のタネにできる」と思ってすらいた。
            ◇
 一番焦ったのは、身内からの搾取である。
 金がなくても何としてでも強奪しようとするような輩だとは、確か大学を卒業したときに知って、これ以上ないくらい落胆した記憶がある。こんな汚らしい人間だったとは、って思った。時代背景もあるのかもしれないが、あまりに情けないと言うか、鬼畜というか。身内の人間がここまで卑しかったのかと思い知って、心底厭になったっけ。
 発言に責任をもたないから信用できないことも。
 話さねばわからないと言うわりに実際話しても理解されないことも。
 それでもまだ「そういう人間なんだ」ってあきらめて流していたけれど、これほど低俗だと、死にたくなるを通り越してあきれて、それから深い怒りに変わったものだ。
 それでも最後まで国王への忠誠を通そうとしたダルタニアンの台詞が、頭によぎっていたな。
「陛下。これ以上、私を落胆させないでください」
            ◇
 だから、「孝行」の催促に怯えながら、秘密裏に仕事を探していた。
            ◇
 あの時代――。
 平日の真昼間から喫茶店に居座るサラリーマン風の40前後の御仁を、よく見かけた。きっと彼らもまた、仕事がないことを家族に隠して、出勤したフリをして職安か何かに通っていたのかもしれない。私がその店の常連客と分かってくる頃(いつも大概決まった席にいたから)、顔を合わす度に合ってしまった視線を、気まずそうで、それでいて開き直ったような顔で、逸らしていた。
 最近はこうした人種を見かけなくなった。アルバイトの中にも中年の域に入った方を徐々に見かけなくなっていったことからも、世の中の景気の波を感じていた。
            ◇
 そして、同年12月。
 にっちもさっちも行かなくなった頃に、塾講師とラーメン屋の仕事を得ることができた。
 仕事を得られたけれど、この頃には、もうボロボロだった。
「もうアルバイトをする時代ではない」
 そう自分の中で誰かが言っていた。
 だが、それでは手にそれなりの職を得るまで、「食う」ことはできない。
            ◇
 それから、また苦労の繰り返し。
 いつも入っていく新しい職場では、歓迎などされないから。イジメではないが、少なくともぞんざいな扱われ方をするのもいつも通りである。
 塾講師業では、塾長がこれまでに見たことのないくらい、なにかキレたような人物だったし。そこの空気も、新入りに何か積極的に教えたり話して応じてくれるような雰囲気はまったくなかった。
 ラーメン屋も然り。みんな遊撃的で、仕事に定型とかマニュアルらしいものがない。そして、仕事のできるヤツがエライという空気だから、新入りを見下す者も少なくなかったし。当時はどうも、性格が悪い人間も結構いた。
 思えば、塾講師業務もラーメン屋も、最近の状況から比べると、ちょっとあり得ないくらい、陰鬱で辛辣だった。ハッキリ言って、仕事が板につきにくいことこの上なかった。
            ◇
 こんなだから、かなり刺々しい。
 ドヤや飯場の日雇い労務者ではないけれど、それに近い気分になる。
 家でも職場でも、ケガでもすれば、途端に邪魔者扱いされる世界。他者をいたわるなんてセンスはどこにもなし。
 ただ、これらの経験を通して、思うのだ。
 「優しさ」とは、他人に付け入る隙をつくる奢った言動に他ならないことを、悟った。
 他人に付け上がらさせても大丈夫なくらいの余裕がなければ、かけるべきではない。そんな「優しさ」なんぞは、絶対に「己のため」にもならないのだ。
 だから己に余裕がなければ、他人にはシヴィアにふるまうのが、正しい姿勢だ。
 そんなだから、いざというときの言動でその価値が顕れるものだし、その他人も、そういう優しさを与える資格のある人物かを、それまでの間に見定めることができるものなのだ。
 子供とは、正しいことを言いたがるものならば。
 大人は正しく物を言い、
 そして、己の身の振り方に正確な自覚を持っているべきなのだ。
(「子供は正しいことを言いたがる、大人は正しくものを言う」は、舞城王太郎さんのフレーズから)
            ◇
 そしてそれは、子供に対しても生半可な希望を持たせる発言をしないように、気を付けることにつながってくる。
 希望を、持つな――。
 夢なんか、ない――。
 冷たい現実を甘受せい――。
            ◇
 そう叩き潰しても、「やる」姿勢を崩さないだけの骨のある者こそが、幸福追求のための愚行をしてもなんとかやっていって成功をつかむのでは、ないだろうか。
 子供は、やりたいことに対しては真っ直ぐだ。いくら禁止しても、こっそりやるものだから。
          ◇◇◇
 10月21日付。
 自分でも信じられないが――。
 なんだか、とても清々しい気分なのだ。
 一皮剥けたというか、気分が軽くなったというか。憑き物が落ちたというか。
 なんだか知らないが、とにかく「カラッ」とした。
            ◇
 いやはや。
 今を思えば、何年ぶりかという気分になったので、自分史年表を軽く思い返してみた。
 約3年ぶりだった。
 「気分が回復しない/前向きな気分にならない」という状態が、最後の投稿が済んだと同時に起こった。
 とにかく、気力が湧かないのだ。そのまま時間だけが無為に過ぎていった。
 すぐにイライラするし、すぐに悪い方向に考える。
            ◇
 10月8日に、県外の温泉へ日帰りドライヴに行った。
「……すべてがおわったら、まず温泉に行く」
 そう考えていたくらい、身体が求めていただけに、これが効いたのだと思う。
 その後、谷川沿いの遊歩道の散策のときに、奇妙な偏頭痛がしていた。
 しかし、このときはあまり気にしていなかった。
「黒いものが頭からもくもく出ていっています」
 そう冗談めかしていたが、どうやらあながち冗談でもなかったっぽい。
            ◇
 そのときは、ドライヴに誘ってくれた友人を見て、
「こういう休日の過ごし方もあるのか」
 と、しきりに感心するばかりだった。
 自動車で手軽く行ける距離が分かっており、所要時間についての把握も大体ある。最新の携帯機器の数々で武装しており、運転とそれを使いこなす。そして、通った景色を最近流行のデジタルカメラではなく、立派なカメラを使いこなして、写真を撮る。人や食べ物を写すのではなく、己が目についたものを撮るといった姿勢――。
            ◇
 かつて、そういう知人はいなくはなかったが、それの何が良いのか、イマイチわからなかったような気がする。
            ◇
 それはともかく。
 なんだか不思議な気分になりながら、10月8日のドライヴが終わって――。
 そして、21日の日曜日だった。
 とにかくその後の2週間、いつも通りムカムカしていた。
 そのどん詰まりの日曜日だった。
 2時間だか3時間ほどの睡眠の後、どういうわけか、ふと目が覚めて、朝は6時。
「脱出すべき」
 という声が、己の内から上がった。こういう心眼的アラートは、発作的で50%は過剰な自意識なのだろうが、それでも50%は当たる。
 ぼんやりとしたまま逃げるように退散して、みなとみらいにいた。
「銭湯に行く」
 お湯にゆっくり浸かろうと、思った。横浜駅に降り立って、歩いた。
 かつて働いていた早朝の職場を見ながら通り過ぎる。
 なぜだか、西遊記の行状のような気分になっていた。
 頭では、B'zの『愛のままのわがままに僕は君だけを傷つけない』が流れていた。
 お湯を求めて3千里――!
 よく知りもしないのに、なぜかそんな気分だった。
            ◇
 混乱した末の行動のようで、ほとんど本能的な行動だったのか。
 それが、結果的に、大正解だった。
            ◇
 喩えるなら、『千と千尋の神隠し』の、“おくされ様”らしきお客の気分だ。
 お湯から上がってから、随分と爽快な気分になって、驚いた。「生まれ変わったような」とは、このことを指すのかと、実感した。
 なにか、ものすごく重たくて淀んだものが、ぽろっと落ちてきれいサッパリしたというか。
 また歩いて横浜駅に戻ったのだが、その日はずっと、少し宙に浮いているような錯覚を味わった。
 駅の中の人の群れを少し見下ろしている位置で歩いている――そんな気がした。
 回復、したのだ。
            ◇
 近況とは、そんなところである。
 やっぱり、重度の鬱病みたいなものだったのではないか、とわかる。
 回復してからの1週間を観察してみると、精神衛生上とても好くないことが認識できる。今まではそうでもないと思っていたが、この1週間が、別人の目から見えている感じであった。
 これは、好くない。
 早急に改善すべき。
 そう思った。
 たった1週間でこれほどひどい気分に陥る暮らしだということを認識した。
 そして、この仕事も所詮は一時凌ぎに過ぎないものだという認識も、思い出した。
 それから、数年間を今よりもひどい日々を暮していたことを考えると、我がことながら信じられない思いがした。
 なるほど、今までのようなひどい気分が晴れないという状態に陥るわけだとも、わかってきた。
            ◇
 腐ったものでも、やがては乾く。
 乾いてしまえば悪臭も減るし、見てくれもスッキリする。
 気分転換が適った今、目標に邁進するときなのだろう。
 戦闘再開。
 この流浪の旅は、まだ続けられそうだ。
          ◇◇◇
 追伸。
 この場を借りるのも微妙ですが、或る御仁に謝意を評しておきます。
 末筆ですが、温泉のドライヴに連れ出してくれたことに、感謝いたす次第。ありがとうございました。
 あれは、確かに、転機たる“今”をつくる機会になりました。
 今、麻痺していたような製作活動を再開させています。
 奇しくも、講師業務が今週は休みとなっています。
 行動あるのみ、としてきましたが、実際には動けなかった。
 だが、動けるようになったなら、動く。
 そうして行動をカタチにしていくことが、今示すことのできる最大の感謝の意だと思いますゆえ、なんでもいいからとにかく書いていくのです。礼と義理を体現できるかの問題だと思っていますから、威信を賭けます。執筆活動に必死になりましょう。
 それでは今回はこの辺りにて失敬、ごきげんよう!
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コメント

あの日は一日時間を使っちゃったけど、いい方に働いたようでよかった(^o^)
ブログ読んでると、いつも同じエリア内でしか動いてないから、息詰まり感を打開するために旅が必要だと思ったんだよね。
とか言いつつ、一人旅が暇だからってことで誘っただけだったり(笑)

時には心の休息を( ̄▽ ̄)

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