ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ! 切って燃えてソコ抜ける、鉄火の厨房へようこそ!
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ぼくが新聞を読まないわけ

 小噺――ブログの記事として載せるには、ちょっと長い文章。
 掌編としてまとめたつもりですが、2000字でも相当に長く感じられる。
 が。
 今回は2500字。またまたちょっと長い。もっとまとめられるように反省する次第。
 話を大きく広げること。日常的な話題から、主観を混ぜてフィクションに繋げていくことを念頭にして、物書きとしてのトレーニングをしてみました。
 平和な家庭や生活習慣の規則性などを手に入れたら、僕は毎朝新聞を読もうと思っている。新聞を読んだり気にしたりする習慣は就職活動以降の社会生活上では常識のようなものだから、ゆえに僕は非常識人である。それでも、早く新聞を読みこなせるようになって、社会人としての品性を磨き、クールに渡世していくような孤高のつわものになりたいと言う希望はあるのだ。
 実生活上で、新聞を読んだりする時間がない。
 朝早く家を出て夜遅くに帰宅して即刻眠る生活だから、ニュースも見られない。それなら朝刊を駅で買って朝の物書き鍛錬にしているいつものカフェで読めば良さそうなものだが、実はそれほど新聞などによる世事情報を必要としていない。何故なら、生きてりゃ大きな話題は何かしらの方法で自然と目や耳に入ってくるものだからだ。今の世の中は。
 つまり、世事情報を摂らないことに確信的なのである。困ったことに。
 だって、暗い記事しかないから、ウツになる。そうじゃなくてもウツウツ。新聞を読んでいればいつでも別の道は拓けるのにとも思ってしまうくらい、物書き志望の現実が遅々として進まないせいだ。
 ニュースを聞いても不愉快を感じる結論になるトピックばかり。
 だから、テレビを他のチャンネルに変えるのだが、よく分からないお笑いで自分たちだけが楽しくて騒いでいるような番組ばかりだから。深夜枠はハイクオリティないし挑戦的なアニメをやっていたものだが、今やアニメが乱立していて、真に「お」と思えるものを選り分けるのも億劫だ。
 だから、テレビも観ない。
            ◇
 新聞は読まない。テレビも観ない。しかし、平気のヘイサでいけしゃあしゃあ、気楽に暮らしている。
 ……世間知らずってヤツかしら?
 世事に疎いので事実、世間知らずその物だから、逆立ちしたって世間知らずではないと否定できないし、また人からそう言われたとしても、僕は否定しない。
 だが、大事なのは、どんな立場にいても自分は世間知らずなのではないかと常日頃から疑問に思うことだと思うのだ。新聞をいくら読んでも移ろう世の動きなんか読めやしないもの。「時代を読め!」とかよく耳にするけれども、読めるわけがないと思うのだ。CIAなど国家規模で情報を集めても、世界の隅々まで把握し切れているかは微妙なのだから、個人レヴェルで軒並みなら、時勢なんか読めないのはそりゃ当然の話となる。
            ◇
 核心とは、そんな世間の余波が、自分の実生活上に及ぼすことで起こる物事へのあしらい方のセンスである。そんな対応のセンスが悪くて下手くそなこと、それこそが深い意味での“世間知らず”だと僕は考える。そのセンスを磨くことは、身の回りの環境や社会の変化に敏感になること。肌でそう言った変化を感じるようになるわけだから、常在戦場の心構えに似ている。現代の切れ者はどこの誰でも共通して、そう言ったセンスが鋭いのだ。そんなセンスを以って、新聞などで衛星写真的に社会情勢の平面図を知れば、世の中の構造だって見えてくる筈で、だからこそ頭の回転だって恒常的に鍛えられるものなのだ。
            ◇
 今時、新聞を端から端まで読むようなインテリの方が非常識に見える気がする今日この頃。これで2chなどで情報に精通していたりなんかすると。……立派だが、こんな輩に進んでなりたいと思う方は奇特だろうし、まず気持ち悪い。こんなヤツは自分がなる必要などなく、知人に一人いれば良い。
 情報マスターとは、利用されるだけ。尚のことなりたくないものだが、利用価値が確定的な以上、必要とされるタイプではある。寂しがり屋のヒキコモリの究極形かもしれない。
            ◇
 無条件で新聞を読めと言われることは多いが、新聞もまた必要に応じて読むもの。身の上が安定しないから、或いはその安定を維持するために、つまりぶっちゃけ、生業の一環として社会人は新聞を読むのだ。仕事とその人間関係に支障をきたさない為の要請からである。それ以外の場合で読むのは趣味である。リタイアして政治情勢に鼻息を荒くして喋りまくる年寄りはいるでしょ。
 そんなわけで、情報収集とは社会で働く為である。一般的には、それ以上でもそれ以下でもない。
            ◇
 だから、そんな生業でなければ、新聞やニュースなどは必ずしも要されるものではないのだ。新聞もニュースも見ていないフリーターでも普通に社会生活しているし。
 ただ、思うのだ。僕が新聞を読む習慣が身に付いた時は。
 ――もしかしたら、今の世が滅ぶ時かもしれない。
            ◇
 僕のような者が新聞を読む時、世の中は新しい舞台の幕開け――きっと、世界が変わる時だろう。
 それは、「今まで知らなかった世界が見えるようになって、自分の視野が拡がりました」とか「新聞は読めると面白いって新発見」とかの、個人の持つ小宇宙の単なる価値観変動だけを指さない。本当に、浮き世が大きく変化する時代のこと、だ。
 新聞の購読率が下がったのは、若い世代が新聞を定期で取らなくなったからだと言う。
 その購読率が上がる時とは、その世代が新聞を取ることを指す。それすなわち、ちょうど僕のような者たちが新聞を読み始めたことで、それはどのような時勢の到来を示唆するのか。
 二つ考えられる。一つは、僕のような者たちへの大量雇用が実現して、“一億総中流再び”みたいな、最大多数の最大定職によってサラリーマンの習性に従い新聞を読むことになる未来。
 もう一つとは、――革命が起こる直前である。今時の若者が『蟹工船』を読んで共感を覚えるくらいだもの、“全学連再び”みたいな騒動が席巻している未来である可能性は否めないんじゃないの?
            ◇
 聖書では天使の吹くラッパの音が七つ鳴った時、世界は終わると言う。
 新聞ってのは、案外、そんなラッパみたいなものなのかもしれないね。
 終末を告げる下流と言う天使たちのラッパ。
            ◇
 時間が経てば、局面は変わるもの。その法則は文章中でも例外は無い。
 だから、未来なんて別に何もしなくても変わるんだ。
 ただ――。新聞を読むようになった時の僕は、立場が安定している未来ではあるのだろう。
 その未来とは、現在が報われて作家になれたか関係なく――。
 そう思ったから、もう少し頑張って今の悪足掻きを続けてみることにするのであった。
 今を活きたいから。現実を楽しいものにしたいから。僅かな時間も惜しんで努力するのだ。
 だって今の世がうっかり終わっちゃったら、ちょっと困るでしょ。

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