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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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 青春は若者だけのものではない

「………まぁ。学歴だけがすべてではないからな」
「それ、あんたがしみじみいってると、自分を慰めているみたいに聞こえるよ?」
「自分を慰める、か。イヤな響きだ」
「ホント、嫌らしいわよ。オトコはいつも、女に一方的な幻想をもってる。実はオトコどもは、女なんか愛してないんじゃないかしら、女を使った1人エッチしてるに過ぎないんじゃないかしらって、疑いたくなるわ」
「リアルのオンナではなく、そのオンナに自分が抱いている幻想を愛している、か。そんなことは、」
「うんうん」
「――あるかも」
「………そこは全力で否定するべきなんじゃないかしら。話の流れ的に」
「いや、男ってさ。高額なブランド品で着飾るのと同じで、レヴェルの高いオンナを連れて歩くことで、自分のステイタスを示しているところがあるんだよ」
「それは、女だって――」
「そう。リアルを知っちゃったら、幻滅するのは男も女も、お互いさまなんだと思うよ。リアルで接し合うだけだったら、きっと男も女も、抱き合うことはなくなると思う。どこかで妥協するのが、普通なんだと思うよ。好きなオトコがいても、彼に甲斐性が無くて、その後の暮らしに不安を覚えるのなら、妥協は容易いのでしょう?」
          ◇◇◇
 愛しあって一緒になにかをする、なんていうことのほうがよほど危険な幻想よ。
 こんばんは。
 すごい美人を連れて歩くことで自らを誇示する男を見ると、百貨店のおもちゃ売り場で駄々をこねる子供を、なんとなく髣髴とさせる。おもちゃを欲しがる子供と、心理的にはなんら変わらないのではないか。
 「子ども心を残した大人のオトコがイイ感じだ」と聞くようになって、随分経ちます。
(この“子ども心”がなにを指すのかは議論の余地がありそうですが)
 “大人”としての自分のカタチが固まってしまった人間――組織の一員としての自覚を以て振る舞う人、理科系的でハードなリアリストなど――には、青春とは感傷の対象なのかも知れないと、確かに思うことがあります。
 一方で、なまなましい現実に激しく体当たりするような生き方を常に選択しつづける者の心は、いつも若い情熱が滾っている。青春とは単に、若者世代或いはその時期の特定のイヴェントを指すものではないと、個人的には捉えたい。「若づくり」ではなく、「若々しいソウルの存在」である。経験不足や性格の青臭さなどではなく、あくまでエネルギーとかエネルギー源のことである。
 割合的には計り知れないけれども、この若さこそが世界を動かすパワーなのだと、言い切る人をよく見かけます。そういわれて思いめぐらすと、明治維新だって30代の人間ばかりだった気がします。
 ただ、立場というものが固まってくるから、年齢とともに、この若いエネルギーを増幅させるのは難しくなるように見える。
 きっと、「大人になる」というのは、なんらかの大きな諦念を受けいれるという意味も含まれる。極端なことを申せば、輝ける表舞台から降板することにつながってくる。
 いや、考え過ぎか。
 書斎でホコリをかぶっているインテリと、書斎の置物インテリア。「若々しさ」は、「苦々しさ」につながってくるところだってあるのだ。
 ともかく、自信の無い大人にはならないように、加齢とともに完成していく青春について、よく意識して立ち回っていきたいと思う常日頃です。
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