FC2ブログ

ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
2018/10≪  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  ≫ 2018/12

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 ずっとあなたが・・・ 9

 昨年は、わたしに向けて3件ほどクレームが、あった。
 どれも理不尽なものばかりで、わたしが悪いとはまったく思っていない。だが、それで仕事の信用を左右することがあるのだから、まったくおかしな話としか思えない。たかが子供のワガママで、日々を誰よりも必死に生きているような苦労人の大人が、生活の糧を失いかねないようなことになるのだから。
 「人を評価する」ということは、非常に難しいことと言えるのだろう。
 「難しい」とは、ちゃんとした裁定や評価を下せない者が多いからだということになる。しかしながら、判断をするために必要なセンス――「正確に見て」、「筋道立てて考えて」、「その行為の先を予測して」――といったものは、求められる最低限の常識ではないか。思慮分別とはそういうもので、そうしたセンスをもっている人間が、それほど多くないということになってくる。
 教育というものについて、ちゃんと考えている大人が少ないということである。現役学生時代の反省をシッカリ行う機会も無いまま、浮き世の習いに従って生きてきただけの親は、その子供にもちゃんとしたことを教えることが出来ないのであろう。
            ◇
 閑話休題。その3件のうちの1つは、中学受験生の親からだった。
 実は、中学受験を考えていた家庭は、4件あったのである。
 偏差値70の「冬彦さん」予備軍の少年。
 少女モナリザ。
 以前記事にした“カルマくん”。
 そして、それ以外の1人。小さなお嬢ちゃん。
 こちらも、以前に記事にしていたかもしれない。入塾当初から、よく懐いていた。
 小動物のようでかわいらしい。小6生とは思えないような反応と、外見をしている。
 平均学力よりも低いようだが、それでも素直で義務に対して忠実で、しかも一生懸命やる良い子でもある。
 この子の一言で、4人の大人が怒ることになったのだ。
 原因は「頭をなでる」ことについて、親御さんに言ったところ、その親御さんが激怒した。それで現場監督がわたしに怒り、わたしは「その両親を連れてこい!」と怒り返すことになった。
 この両親は、娘の頭を足蹴にする。この子は長女で、次女は障害児だった。この子は家の手伝いを始め、いわれたことをキチンとやる。そういうところからも、大人たちに「わたしはキチンとしています」と思われたいことも、よく解る。
 愛情を、欲しているのだ。
            ◇
 懐いていた頃、親御さんへの悪口をよく聴いた。子供の言葉を鵜呑みにしているわけではないけれど、それでも、彼女が家庭へ貢献している様子や親の不機嫌で理不尽な目に遭わされることも大体見当がついた。だから、好感を持ってくれて、理に適った応援の仕方をしてくれることを、非常に欲しているのだ。
 すると、甘えが出てくる。
 いや、デレデレとくっついてきたり何かを要求してきたりするわけではない。常に傍らにいて、しっかりやっている自分を見ていてもらいたいという欲が、強くなるのだろう。
 安らげるお気に入りの大人に、見守っていて欲しい。
 親に甘えられない子には、そうした存在が貴重なことは想像に難くない。
 問題だったのは、そうした欲望が、
「わたし“だけ”を見て!」
になってしまったことだろう。懐き方が尋常ではなかったから。
            ◇
 それで、担当する子供をすべて注意して見ている様子が、彼女から見れば非常に不興だったのだろう。半ば確信犯で、親に喋ったことも容易に想像がつく。わたしが受け持たなくなってから、それでも彼女は自習に来ていたが、その度に
「えっとぉ、1549年はー、」
などと大きな声で喋りながら勉強していた。捗っていない。計算も計算用紙ではなく、ホワイトボードに落書きの要領でやるし、周囲の人たちに「わたしは勉強してます」ということをアピールしているようにすら見えるような態度だった。
 誰かに構ってもらいたくて、仕方が無いのである。
 ヒトリゴトから察せられる「解らないところ」を教えてやることを、彼女は欲しているのではない。誰か大人についてもらいたいのだ。
 結局うだつが上がることは無く、9月の模試で学習障害のあるカルマくんと同じような得点しかとれず、受験志願を撤回して退塾していった。
             ◇
 “彼”は、先のお嬢ちゃんと同じような傾向が、出ていた。
 彼は機嫌が良いと、鼻歌が出る。
 だが、12月頃から、その鼻歌を結構しっかり歌っているのを自習室でよく観察された。
 子供の甲高い声で、はっきり歌っている。妙な気味の悪さがある。
 授業中で歌うこともあった。
 それは、同じ授業中で他の子供の解説に当たっているときだ。
 事務の方いわく、わたしがいないときもよく歌っているとのこと。
 5分待つことが、出来ないのだ。他を見に行くと、5分弱で歌い始める。
 授業妨害も良いトコロである。それで、わたしはといえば、ノイローゼ気味になった。彼が歌うことで気を削がれる。他でちゃんとしたことがやれなくなる。他に行っても、彼の行動を意識してなければならなくなるからだ。
 それだけではない。
「ぶぶむううぅぅぅ――!! ぶぶむううぅぅ――!!」
 自習室から、唸り声が聞こえる。
 わたしが授業をやっていて、彼が自習室にいるときだ。その彼にその日授業が無いときに、こうした力んで滲み出したような声を上げる。
 強制させられて、勉強がイヤでイヤで仕方が無いのだ。
 家にいても「塾で勉強してきなさい」といわれるから、塾に来る。しかし、塾で携帯機器をイジって注意されると、勉強するふりをして寝ているか、こうした唸り声をあげているか、歌っているかである。親はこうした息子の様子を知らないのだ。家でも口うるさく「勉強しろ!」と言われてはいない。ただ、「勉強しておいで」と言われて、おかあさんの前で良いカッコしなければならないから、塾に来てワガママめいた態度をとっているのだ。
          ◇◇◇
 次回の更新は、3月31日を予定しています。
            ◇
 4月10日の電撃大賞に間に合わない、と申していたものの、それでもナントカ間に合わせようと必死なのですが、恐らくどうにもならない。プロットすら、できていない。
 ここ数日は、1日のうち製作活動に何時間か充ててきた。
 やはり、「文学」傾向は、捨てがたいのだ。
 ライトノベルや一般小説では、物足りないのだ。表現力とか迫力に、乏しい。
 近頃は深夜アニメで納得のいくものを見ていても、「(切所で)こんな言葉は出ない」と思うことが多い。そのキャラクターが本当に壮絶な人生を歩んできたのなら、そんな切所で切る啖呵がこんな言葉にはならないだろうと思えてならないようなことが多いのだ。
 だが、文学のチカラを応用してなかなかの迫力を持たせると、殺陣にしても魔法にしても、ライトノベルらしい“巨大フィクション”は表現できなくなるのだ。あくまで実生活の積み重ねで、人間の想像力は出来ている。だからこそ、あり得ないもの、イラストでも無ければ共通の想像が難しいものを、読者に限定させることは、至難の業だ。ライトノベルにはライトノベルだから許される粗雑な描き方があるのである。漫画家に委託する脚本程度で良いのだ。
 こうしたところに、ディレンマがある。
 だが、そうも言っていられない。
 文学の技による迫力のある表現は惜しいが、ライトノベルを書けるようにすることは、ビジネスに直結する。
 今持っているセンスでライトノベルをつくるには、どうしたら納得のいくものをつくれる可能性が出てくるか。
 ライトノベルならではの「よくあるタイプ」で挑戦するのだ。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


トラックバック

トラックバックURLはこちら
→ http://ddcafe080806.blog105.fc2.com/tb.php/1260-109a3a9d
FC2ブログユーザー用
この記事にトラックバックする。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。