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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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 騎士マルタ ⑧

 こうして、どうするかあれこれ考えようとするものの、夏期講習という迷惑な行事によってそれが適わないまま、8月があっという間に過ぎていくのだった。
            ◇
 夏期休暇の間、モル坊はよく授業をとっていた。「自習」で毎日来ていたとはいえ、それでも週に4日は授業があった。
 公立一貫校の試験は「検査」であり、「受験」も「受検」なのである。
 そのテストは、私立校のそれとはだいぶ形式が異なっている。私立校の基準で解説することになるが、科目クロスジャンルといったところで、的確な知識の使いこなしがものを言う感じである。
 純粋な読解問題は希少だが、“身近な発見”めいたところから出題されるため、問題文が説明文の形式だったり会話文の形式だったりして、とにかく異様に長い。また、理科の知識や原理(特に水に関するもの)で身近な現象や環境問題を問いつつ作文記述だったり、読解する上で社会の知識や資料(統計の表やグラフ)を読むチカラが必要になる他、四捨五入した大きな数字を円グラフに収めるために割合化させたりする算数のテクニックも要る。
「主に算数のチカラだ!」
 これは現場監督とその右腕(学生講師)の見解であり持論である。
 算数のチカラが必要と言えるのは、算数系の設問が多めだからだ。また、社会では「歴史」の知識は過去問題から照らして殆ど不要と言えるし、純粋な読解問題も殆ど無いと言えるため、理科系に偏重していると言えなくもない。算数的な設問は、計算による解法のために正解が1つしかないから得点に差が出るポイントとされ、作文や記述の場合は常識的であれば正解のストライクゾーンが広いため、得点に差がつかないポイントとされている。
 ゆえに、「算数絶対!」がこの教室の公立一貫校対策となっていた。
 だが、それだけでは到底うまくはいかないと、わたしはしぶとく説いていたが、いつも通り相手にされないのだった。
 わたしの見方はここでは省略する。尚、すべてが終わった後、現場監督は、
「やっぱり、4科目オールマイティに出来てなきゃダメなんだ……。受かってる子はみんな偏差値70以上だった」
とヒトリごちていた。この現場監督がこちらに赴任してきた当時からわたしはそう訴えてきたことはもう、言うまでもない。
            ◇
 モル坊は相変わらず、うだつは上がらなかった。スタッフよりも生徒とその授業コマの方が圧倒的に多く、安定して営業が回らないのだ。時間割も当日変更が頻繁に起こり、授業担当講師もちょろちょろ回るから、うまく進まないことも少なくないのだ。
 講師の方にも、問題がある。
 辞めていく人間も少なくないから、頻繁に新人の大学生ばかりが登場する。これがまた、中途半端な輩ばかりで、いつも胡散臭い。学歴があると妙に自信過剰で、常識的な態度がとれないものが少なくない。この数年間を見てきて、自ら挨拶をしてきた新人は2人しかいないし、むしろプライドが高く無礼で横柄な若造の方が珍しくないという事実は、大人たちの子供の育て方がよく表れているような気がして、実に滅入るものを感じざるを得ない。また、学歴が高くない場合は、穏やかだったり物静かだったりするが、思いの外、一般常識で知らないものがあるようだ。文科系の大学生なのに、生糸と出てきて「富岡製糸場」という単語を知らなかったり、三審制の解説で簡易裁判所から始まった場合高等裁判所で終わるなどと普通に教えていたりする。
            ◇
 知識に関しては、勉強不足がゆえに仕方がないところもあろう。ホンモノのプロフェッショナルではないのだから。わたしもいまだに知らないものや忘れているものは少なくない。ただ、自信の無いものはその場で調べる。基本的には子供の前に見栄を張るようにする(模範解答を使わないなど)が、近頃はそうやる必要は無い気がするのだ。
 「全部できて当然!」と言えるくらいの知識レヴェルなら、子供に対していつも「勉強が足りない」と厳しくて正しい先生になれる。完全無欠を演じるということだ。隙が無いから、相手は屈さざるを得ないという強引さを行使できる。こういう先生は、自他にキツイ性格を持つようになる。好かれることは少なくなるからか。
            ◇
 子供は確かに、大人を素直に尊敬したいところを持っているような気がすることもあるから、これでも良いのかもしれないと思うことはある。ただ、「一緒につきあってあげる」という姿勢の方が大切なのではないかも思うのだ。だから、昔から一貫して、子供の解く問題をできるだけ自分もやるようにしてきた。それが100マス計算だろうが小問集合だろうが、発展問題だろうが過去問題だろうが、である。これなら「勉強しろ!」といわなくても、「先生」と言われる大人が黙って勉強しているのを見れば、子供は自然に問題と向き合ってくれるものだと思えてならない。少なくとも、やる気や状況を察する力をまったく持ち併せていない子以外なら、大抵は勉強してくれた。
 子供は「勉強教えて」という言い方をするが、多くの場合、
「勉強につきあって。わからないから調べてよ。一緒に勉強しようよ」
という意味の方が正確なのではないだろうか。
            ◇
 まず、練習問題を見て、解説箇所から答えとなる部分を探すこと。
 次に、1通り練習問題を処理したら、解説を通しで読み直して内容を理解すること。
 そして、何も見ずに練習問題を正解できるように練習すること――。
 以上を、基本的な勉強としてしぶとく指示していたが、モル坊は結局、自らこのサイクルを実行していくことが出来なかったのだ。「勉強」というアクションについて意外なくらいに、自覚的とは言えなかったのである。
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