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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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 「体験の口調」から学ぶ

 我が脳では、もはや処理がし切れないくらいにタスクが溜まってきています。
 1つのタスクに集中してかかれない状態に陥っているため、まったく捗らないという悪循環にはまっています。
            ◇
 先日、夜遅くに帰宅して夕食を摂っているときに、TVドラマを観ました。
 『ぼんくら』と『深夜食堂』。
 時代物ドラマと、現代物ドラマです。
 元より読書自体が稀な生活ですが、近頃はノンフィクションばかり読んでいました。
 先日なんか、団鬼六先生の自伝でした。
 団鬼六先生とは、アレです。ワルイヤツが美貌の女の人を、あーんなコトやこーんなコトをしていじめる物語をたくさん描かれた作家さんです。わたしにそっちの趣味があるわけではありませんが、その分野の先駆者にして第一人者なわけですから、そういう大物の経験談なら、確かに興味は出たわけです。説明不足気味なところがあるものの、メチャクチャな生涯の例として、確かに面白かったです。
 こんな風に自伝とかノンフィクションが主体になってきています。
            ◇
 深夜食堂――ちょっと前に、NHKに『72時間』というドキュメント番組があって、それで東京・鶯谷の24時間食堂を取り上げていた回があり、それを改めて目を通したわけです。
 なんでしょうか、オナジモノを話題にしているのに(隣人の哀愁などの垣間見える小さなドラマ)、ドラマとノンフィクションでは、ひどく雰囲気が異なるのです。
 生活臭が感じられるのか、作り物臭が感じられるのか。
            ◇
 こういう違いでは、花村萬月先生の小説が顕著だった記憶があります。
 バイクに乗っているシーンは、描写が端的なのにも関わらず、妙な迫力とか臨場感があるのです。
 わかりやすかったのは、『ブルース』を読んでいるときでした。
 タンカーの描写と、ドヤ街などのシーンとでは、同じ人が書いているように思えないくらい、雰囲気に差がある気がしたものです。この違いについて、なぜかとよく考えたことがありましたわけで、今回のドラマの疑問も同じ類のモノだと結論づけて、考えるのを止めていました。
 体験した内容をそのまま語っているのと、作者が想像して描いているのの違いです。
 後者では、どうしても読者に情景を読解してもらおうと試みている傾向が感じられるわけです。つまり、情景が解りやすいような小物などの名前が結構出てきます。また、読解してイメージを追いかける読者を、悪天候などの極端な背景でイメージをしにくくして文字による情報だけに制限させることで、強引に導こうとするテクニックもあるわけです。
            ◇
 つまり、真剣味の違い――。
 ドラマの方が、肉迫するものが無かったということです。
 ドラマの深夜食堂は、オチもあってあまりにも「作り物」っぽいところがあるわけです。
 しかし、実はそれ自体はあまり問題ではないのです。
 事実は往々にして、小説よりも奇なるものだからです。作り物っぽい現実など、別段驚くべきことではございません。
 例えば、9月11日のアメリカのテロ事件。飛行機をハイジャックして、己が信ずる正義のためにそのまま敵国のビルディングに突撃する――起こってしまった現実を元に創作するならともかく、最初からそうしたプロットを真面目に組んで、リアルな物語なんか、つくれるだろうか。一本調子の信仰心によるものが主体だから、観客に共感を起こしにくく、その結果薄っぺらくなりがちだから、ゼロからこうしたものをつくるのは、至難の業なのではないか。
 尚、こうしたことは北野武先生も「そんな夢みたいなストーリィでは、相手にされない」と言われて映画製作の認可が下りないみたいなことをどこかで仰っていた記憶があります。
            ◇
 体験談を語ることは、実は無駄ではないのです。特に、小説家の場合は、リアリティを表現するためのヒントがあります。
 記事として現実に起こったものを勢いに任せて書き殴ったりしてきた経験は、結構役に立ちそうです。
            ◇
 時代物も、そうした方向で考えることができます。
 現代ではない時代への憧憬はあるのでしょうが、別世界である点で、SFやファンタジーと、実はあまり差が無いのではないか。ファンタジーとかSFでは最初から現実を援用してリアリティを表現することはできない分、現実世界を舞台にして描いた物語は、一般読者の多数派を、その物語の世界に取り込みやすいと考えられるわけです。
 では、時代小説はというと、SFに近い気がします。ファンタジーはデタラメですが、SFは科学的根拠や歴史背景などがよく取り込まれたもので、その世界観に、みんな少なからず馴染みがあるわけです。時代小説の場合は、その国の歴史ロマン傾向があるわけだから、その物語世界の想像のしやすさは、現実を舞台にした物語とは違う種類ではありますが、現実舞台の小説並みの高さがあるのではなかろうか。たとえば、「八丁堀」といっただけで、江戸八百八町を思い浮かべるわけで、その説明ですら背景描写に転化できるものがあるのです。
 つまり、ファンタジーなんかよりも効率の良さに優れているし、SFのうそんこ科学よりもわかりやすいし馴染みがある。言葉遣いがそもそも雰囲気づくりにつながるから、慣れてしまえば描きやすさがあるのかもしれません。
            ◇
 先にドラマで問題にした、ノンフィクションに比べて創作物語で弱くなりがちな「真剣味」とか「迫真」についても、時代小説はウマイコト、カヴァーしやすいのか。
 これは読者たる現代人との風俗や趣向が違うことが前提にあるわけだから、その登場人物に対する読者の共感のシンクロは、どこか間接的なところがあるように思います。つまり、読者はその時代の雰囲気を作品に求めているし、ファンタジーとかと同じような感覚で見ているところがあるから、迫真とか肉迫の度合いは現実舞台の物語ほど、直接的でなくても完成するところがあるのが、特徴ではあるのかもしれません。むしろ、体験談やノンフィクションじみた肉迫する描写で現代人の感覚がそのまま通じてしまうようなところが多くなり過ぎると、時代小説として成り立たなくなるのかもしれません。
 だから、多少わざとらしくても、「その時代っぽさ」になれば、世界観の表現となるわけで、『ぼんくら』の方はそういう風に見えるところがいくつかあったわけです。
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