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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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…………。

 生きてます。
 とりあえず、生存はしています。
 高校三年生の現代文を受け持ったり、AO入試の志望理由書の添削をしたり、なんだか知らないけれど、よくわからないくらい、忙しい。
            ◇
 8月のレポートなんか全然終わっていないのに、昨年閲覧させられてレポートを書いたのにも関わらず、また同じ部長氏の模範授業のVTRを見てレポートを書けとか吐かす。……この仕事を続けている輩をなんだと思っているのだ。この会社はどうも、上の人間もまた、続けている者への配慮はないらしい。
 また、今回のVTRの閲覧は、塾長による研修の体裁もとっていない。
 今回の塾長は、やっぱり、前々回の塾長と同じような人種なんだ。
 毎週教会に足を運んで神父の話を聴いてくる人間であっても、思慮の心が育つとは限らないのと同じように、ビジネス書を愛読する塾会社の社員だからと言って、部下の教育の仕方が上手いかといえば、とんでもない。
 ハッキリ、言う。
 今回の塾長は、他の塾会社での研修とかそこでの経験があるから、高校受験関係の話を聴く上では参考になるが、それ以外は、あまり感心のできるような人物でもない気がする。
            ◇
 私は現場監督の立場なんかやりたくはないけれど、たぶん、私が采配を取った方がマシだとすら、思える。
 きっと、評価基準が新入塾が増えれば、それで良いのだ。あとは、辞めてさえくれなければ。
 入塾を爆発的に増やすことは難しいだろうけれど、ちゃんとした職場にはできると思う。
            ◇
 学生講師どもに仕事のマナーみたいなものを教える必要はあると思うし、指導の仕方にしても、塾長の思惑と各ユニットのセンスは全然違うことが傍目にも分かる。だから、以前から「研修をすべきだ」しかも「社員主導でやるべきだ」と進言していたが、全然そんな感じはしない。
 そもそも、現場監督としてのモラルの低さに辟易する。
 気の合う中二男子どもと雑談で「成績が上がったらハーゲンダッツをおごる」だの、軽々しく約束する。
 公明正大な立場であるべきなのに、不公平だと思わないのか。
 ましてや、ドタキャンした学生講師の尻拭いが断りもなく、私に回ってくるのは、一体、どういうことなのか。
            ◇
 揚句の果てに、
「個々の自由に任せる。采配を強制したくはない」
 とかのたまって、研修を行おうとはしない。
 一体、このバカモノは、何をカッコつけているのか。私には潔くない様子にしか、見えないのである。
 雇われ者の我々は授業時間しか賃金の出ないわけだし、そもそも正規雇用でもない片手間仕事なのだから、適当な仕事でもとりあえずその場を凌げれば良いことを考える。しかも、代打などで頻繁に単発授業を受け持つことがあると「とりあえずその授業の回だけ凌げれば良いから」と、塾長本人が吐かす。
 それなのに、
「おまえはセンター英語で9割以上を確実にとれるのか!
 予習もしないで授業に臨むとは!」
 などと、無給の作業を強制するような物言いで怒ったりするのは、どうかと思うのだが。また、怒り出したときに、自由に任せた采配にケチをつけるのは、どういうことか。たとえば、引き継ぎ書を毎回書かない、とか。
            ◇
 この間は、仕事を休む学生講師に代打を探すのに、賞金を出すことを促していた。結局、その学生講師はノリで3000円以内で食事をおごると、約束することになっていた。
 ……………。
 ……こういうことをやるから、小利口で下品な大バカどもが、増えるんじゃないのか。
 この塾長はこの教室を、教え子その①やその④のような子ばかりにしたい、とかのたまっていた。
 その方法を考えたことは、ないのか。
 分からなければ、そのヒントかもしれないものを、目の前の私が持っているではないか。
 私自身は上品ではないし、レヴェルだって高くはない。だが、その教え子たちはこの教室の顔となれるような成績優秀者ばかりだ。確かに、1人2人と、最下位クラスの子もいるが、それ以外は相当に良い子たちばかりだ。
 私の教え子たちに共通するのは、モラルの高さがあることだ。最低限で正義感がある。
 正義は滅多に勝たないように、公衆道徳とはその場を構成する者たちにそれを守る者が多くなければ、消滅してしまうものである。己の力量とその場の品位を見て、己の振る舞い方をよく考えることを説いてきたけれど、すなわち、そういうことである。キチンとした躾の適っている子というものは、シッカリしていることが多いのだ。こういう子は、勉強の仕方を簡単に説くだけで、最低限の得点は取れるように自ら努力するようになるものだということである。
            ◇
 勉強して成績が上がれば、あるいは、解る愉しさが理解できれば、勉強するようになる。
 ここを突くために、導き方は色々あるし、上記のような品位のある子らでない場合の指導の仕方はまた、変わってくるとは確かに言える。そうした子らを勉強に追い込むための火付けの手段として、賞金みたいなものを塾長はかけるのだろうが、それは塾の仕事ではないのではないか。保護者の役割だ。
 この塾長は、なにかといえば、金、金、金、である。
 口に出さないけれど、経済背景をすぐに動かす。恐らく、ミケランジェロがリーダーだったときも、彼の企画のスポンサーを行っているに違いない。
「自発的に問題に取り組んでいて、その結果としてこの教室の準備金のいくらかを出してやれば、やる気はさらに出るもんでしょ」
 …………。
 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの言葉に「報酬を期待する人間になるな」というものがあって、これに同意するところが大な私は、やっぱりこの塾長とは、相容れない類の輩なのだろう。
 私に言わせれば、「小遣いが出なければ、家の手伝いを1つもしないのか」というところである。
 閑話休題。
 で、かの塾長。
「オレ、商売くさく見える?」
 とか、やけに気にする。中学校の運動会に顔を出しに行ったのも、アピールである。そうした1つ1つの演出に商売臭さを感じさせたくないらしいから、金金金とも言わないけれど、学生講師でもない私の目はごまかせない。
 この人は、俗物だ。
 人の動機を、実に舐め切っている。
 金に直結しないことは、一切やらない。だからあの御仁にとっては、私なんかはかなり不思議な生き物だし、相当のバカに見えるのであろう。
 だから、目の敵にしている節もある。我が進言は既に3度、彼らの先を予見したが、どれも黙殺された。私には正しいことを言われたくないし、私が何かで活躍すればケチをつけるのだから。
            ◇
 ……運命とは、皮肉なものだ。
 もし、この塾長と仲よくできていたら、私は家族とも何の軋轢もなく、平和に暮らすことが出来たであろう。
 ということは、こうした生き様を晒していることはないわけで、すなわち、こうした価値観を持ち合わせているからこそ、今のような生きづらい体たらくになっているわけだ。
 私が大切に思っているものの価値とは、この社会では通用するものではないのである。
 ある種の性格障害とも言えるのだろうが、失望はしていないのだ。
 そんなのと妥協することを厭うているくらいだから、己の心の位――高尚さに自覚を持っているつもりである。
 大概の善とは面倒くさいことなのだとは、舞城王太郎さんや宮崎駿さんもいわく通り。その面倒くさい生き方で暮らしている自覚というヤツだ。
 ゆえに、孤独を善しとするのであった。つるまないのは、揺るがぬ自信の顕れかもしれません。
            ◇
 先日、新入りの講師では2人目に辞める者が出た。
 辞める者にバカにされている気分すらするから、気が滅入る。
 早いトコロ辞めたいとは、正直な心持ちだ。
 ただ、私がいなくなったら。
 私の許にある集団は、誰が守るというのか。
 けれども、彼らがみんな片付くまでにあと、2年から3年はかかる――。
 ぼんやり過ごす1年は短いけれど、ぼんやり過ごしても2年は結構長い。
 製作活動すら回っていないのに、どうしたものかといまだに思い続ける今日この頃である。
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