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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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 混乱した時間の中で

「あなたは、愛されていると本当に思っているの?」
「おいおいおい、俺が女房に好かれてなかったとでも?」
「朝の悪ふざけも、塩と醤油の好みをわざと間違えてみるのも、あなたの趣味を気にして入っていこうとしたのも、そうなんだけどさあ。奥さんが普段はしないことをやっていたのはね、あなたの気を惹こうとしてたのよ」
「俺は女房を、見くびっていたってことか?」
「あなたはさ、奥さんの笑顔の意味がわかってるの?」
「いつも微笑をたたえている素敵な女房だって、評判だったんだけど?」
「ばか。奥さんが欲しかったのはね、気持ちなんだよ」
            ◇
 笑顔に顕れる寂しさを、理解しているか。
 おはようございます。
 先日「いいね!」を押していて感じたのは、時間の蓋然性とは、過ぎ去った時間は必ずしも規則正しく正方向に進んでいるわけではないということです。
 登録の「友達」は数年も顔を合わせていないので、こうしたところでリアクションをするのも少しばかり気が引けるものの、その方々と喋って楽しかったことや学べたこと、うれしかったことなどを昨日のことのように思い出せるせいか、僭越ながらも反応をしてしまうわけです。つまり、記憶が鮮明で、時間の流れとともに風化したり遠ざかっていったりすることが、わたしの場合は極端に少ない。きっと、これは個人差がある。
 記憶の断片の塊を、人は抱えている。それはむらっけがあって、その人の印象に残っているものなら、鮮明に思い出せる。一方で、同じ事象を一緒にいて経験していても、その人ほど印象に残っていない人もいるわけだ。こんなだから、過去の同じ時間の事象であっても、人によって懐かしさのレヴェルが異なる。印象に残っている過去の記憶は手近な抽斗に入っているから、その記憶がどれだけの時間の経過が背景にあるかを、あまり気にしない。
 色々な人々がそれぞれの印象の強さに依存した記憶を抱えて生きている以上、時間というものは、絶対的に正方向へ流れていないように思えてくる。極端なことをいえば、時間を共有できている人間は存在しないから、人間は孤独だということにまでなってくる。
            ◇
 実はここのところ、よく年齢を訊いてくる子供がいるのです。これはほぼ間違いなく、その親御さんがわたしの年齢に興味を持っています。別のところでは中年の女性の方に「白髪がひどく多いのに肌はやけにキレイね、なんだかホントに年齢不詳」といわれて年齢を訊かれました。
 更に。数日前に遊歩道を進んでいたときに、声を掛けてきたモルモン教の宣教師の大学生がいて、「いくつですか」と訊かれたわけです。そこで「いくつに見えます?」と訊いたら、なんと30歳前後とか20代とか言われたわけですね。わたしがダンディ盛りの中年だと知った彼らは「日本人は若い!」とのこと。
 この歳になって初めて、実年齢より若いといわれる機会が出てきました。
 他人に実年齢より若いと見られることはうれしく思えるものだと予想していましたが、自らの言動に青臭さがあることを重々承知しているせいか、こうも連続して年齢を怪しまれてみると、「ガキっぽいんじゃないの?」と思われているようで、少々へこみます。
近頃はエロい記事を書いていたから、若くなったのかしら……?
 ともかく、時間の概念を頭の中からぶっ飛ばせれば、少しはへっこんだところが元に戻るかと考えていたわけですが、そんなことはありませんでした。とりあえず、笑顔。合掌。
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