FC2ブログ

ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
2013/08≪ 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  ≫ 2013/10

葛藤の末に悶絶する

 新しい物語のプロットを考えている。
 前回『HBC』は、キャラクター色が出ていないこと。描こうとしている主題が示されていないことなど、あらゆる意味で「表現しているハズの本体」がない。見えてこない。40枚にもなるのに、テーマらしきものが読んでいて見えてくる感じがしない。
 その辺りを反省せねばならない。
            ◇
 キャラクターは、物語内容での役割を充分に確信してから、マッチするものを考えなくてはならない。実際、流行りのライトノベルのブームは、キャラクターが先行して、物語内容自体は疎かなものが多い気がした。つまり、派手なキャラクターさえあれば、そいつの一挙手一投足一言一句で物語になってしまうのだ。
 どんなつまらない情報でも物語として成り立たせる技術の追求も、作家の職人芸としての側面でもあると思うから、そうした「キャラクターの、キャラクターによる、キャラクターだけの物語」に、或る種の完成を感じてすらいたが、それはどうも、私の作風にとっては間違いだったらしい。
 なぜなら、私の目指す創作は、オリジナルの表現力とか独特の筆力を意識している。だから、物語も地に足の着いたものでないと、説得力のあるものが出来上がらないような気がするのだ。つまり、キャラクターが面白いだけの物語とは、往々にして、真に奇抜なわけではないのである。キャラクターが面白くてもキチンとした物語は、面白いキャラクターにもそのパーソナリティに合った確固たる役割がある。「物語内での役割」から、キャラクターは考えねばならないらしい。
            ◇
 また。
 描きたいシーンや場面がアイディアの起点だから、それを蔑ろにはしたくない気持ちがある。
 だが、往々にして、それらは私にとっては枷となっている。
 私のセンスが弾き出すアイディアの起点となるシーンは、正直、絵でしかない。情況のカットに過ぎない。何かを彷彿とさせるような、象徴のある絵では、動的な状況――ドラマの1シーンにならないのだ。これがディレンマである。“意味深な絵画”は、そのシーンの前後の状況を想像してみると、その絵画の不自然さが浮き彫りになるから、意味深なのだ。それが思い描けても、物語を描くことには直接つながらないのだ。
            ◇
 己の性質と、作家の素質との齟齬に、悩みつつ。
 更には、テレビゲームとしては面白い設定でも、ゲームのような小説で面白くなるとは限らないということも、予定する作品の狙っているものを、見えづらくしている。漫画原作のようなライトノベルや、ファンタジー小説などを考えると、こうした問題に頻繁に突き当たる。
 たとえば、アタッチメントの得手不得手。
 「武器1」は、A攻撃は無効だがB攻撃は弱点となる。
 戦う相手によって得意不得意を付け替えるわけだが、小説でそれを素直にやると、すぐにマンネリ化する危険が伴う。面白味が分かるようなコマメな表現(主人公キャラのシーン毎の発見による驚愕とか)が必要になる他、うまくスムースに物事を進めないようにシナリオを練る必要が出てくる。つまり、コントローラーの感触がない分、小説の世界では「設定」そのものが、面白さに直結しないのだ。設定を活かしたイヴェントを何種類も考えねばならない。
          ◇◇◇
 何をやるにも、不器用過ぎて、ウマくコトが運ばない。そんな日々である。