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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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考え得ること、そうでないこと。

 例えば、いわゆる「普通の家庭」に育った学生を主人公にして考える。
 摂理や物理法則、一般常識や社会制度など刃向うことのないような、ごく一般的なものを想像する。
 登場人物はそんな輩で良い場合、どうしたら小説が成り立つか。
            ◇
 まず、その「小説」を定義する。
 ……小説の定義なんか、マジメに勉強したことがあるわけではないから分からないから、考え得るものを挙げるとすれば、、、
 読んでいて面白いもの、
 教養になる場合があるもの、
 私小説やノンフィクションのように何らかの記録的な意味合いがあるもの、
 文字による芸術表現
 ……こんなところだろうか。
            ◇
 フィクションだから小説と言う場合もある。
 だが、あまりにフィクション過ぎると、物語に入り込んでいけない。
(物語に入り込んでいけるか否かは、他にも考え得る要素があると考えられるゆえ、ここでは割愛する)
 そこで、リアリティをどのように用いるかについて、よく考えなくてはならない。
            ◇
 フィクションの中のリアリティを愛するのでなければ、ぶっちゃけ、物語に読者が入り込めれば気にする必要はないのである。………これに気が付いたのは、つい最近だ。
 元々理屈臭い性質なのか、リアリティを追究することは正義だと信じて止まなかった。
 また、頭でそれが分かっていても、感覚的にどういうことか分からなければ、どうしようもない。分からないのと同じなのである。
            ◇
 つまり。
 小説が小説たり得るのは、想像のつかないようなフィクションが起こるから面白いのであって、最初からフィクションであっても描写さえわかりやすくて、読者が入り込んでいければ、リアリティなどなくても面白い物語は可能となるのだ。
 ただ、難しいのは、あくまで肌身のレヴェルの感覚が描写や読解の際の助けとなるわけだから、リアリティにまったく関わらないものを描くことは、困難を極める。もちろん、描けたとして長続きはするまい。途端に飽きてしまう。
 そんなわけで、リアリティという人間の感覚による経験的な馴染みが、読解する側にも描写する側にも、手掛かりとなるわけだ。
            ◇
 恐ろしい問題のようだが、実はそれほど大した問題でもない。
 正確に自覚するには難しい問題だというだけだ。
 解決自体は至極簡単で、それも大抵の者が自覚なく解決していると思われるくらい。
 リアリティ――それに凝り固まり過ぎてはいけないということだけだ。
 凝り固まり過ぎると、ノンフィクションになる。
 それも、かなりつまらないノンフィクションもどきである。ホンモノのノンフィクションの足元にも及ばないものになる。
 事実は小説より奇なりというもので、面白い実話とは、いつの世にも必ず存在するものだから。
            ◇
 面白い実話も、それが信じられないような話だったり、堅気の人間ではまず考えられないような世界の話だったりするから、リアリティの上に立つものの、考えられないサプライズという意味では、フィクション的な性質を持つ。それが現実であるから面白いと感じるのだ。
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