ゴーレムの記憶
◇
話し合っても分かり合えない。
だから、戦争をするわけだし、曲げられない対立だったら、どちらかが倒れるしかない。
それは、歴史だって証明している。
だが、これから未来志向を持ってしかるべき我々の世代というものは、愚かな大人どものように諦観ばかりをもっていてはならない。
譲歩や妥協もしないけれど、殺し合いもしたくなければ、どうするか。
お互いが干渉をしないように住み分けるしかないのである。
◇
言語が通じなければ、最終的には暴力で言うことを聞かせるしかない。
動物を躾けるには、制裁を与えたり、鞭や棒で打ち据える。
半殺しくらいの目に遭えば、大概の動物は聞き分けは良くなる。
近付いて半殺しの目に遭えば、その犬はもう近寄らないだろう。
◇
ルールがあっても、ルールというものは武力の前では沈黙するもの。
法律や社会道徳や慣習でそうすることになっていても、実際の行動の前にはどうすることもできない。
人の行動に歯止めなど基本的にはかけられないし、かけられるとしたら暴力という実力行使だ。
言うとおりにならないので、延々と拷問にかける。
結局、屈しなければ、その暴力で死んでいく。
その被迫害者だって、「精神や主義の自由までは奪われてたまるか!」といって殉死する。
結局、妥協をとるか、自らの滅亡をとるか、でしかない。
◇
で、迫害者が殺せないなら、結局、堂々巡りで、何かが変わることもないのだ。
迫害する者の方が有利な立場であるのが普通だし、迫害される者の方が意固地になっているのだから殺せないくらいのじわじわしたイヤガラセが続いても、それだけ強固な意志を以ってがんばっているんだから、妥協することはないだろう。お互いに何か好転するものがあるとは、とても思えない。
ゆえに、数年も続く冷戦の争点となる事由への
――それも腫れ物に触れるような対応で通してきた輩たちが深慮があるわけでもなく気まぐれで開催するといってくるような――
主義主張を巡る「話し合い」をしようというのは無謀であり、互いにとっていい結果どころか、悪化するだけの結果を生むだけなのだ。要するに、先方の自己満足で呼びかけてきたに過ぎない。
まったく、くだらない。
いや、待て――。
ひょっとしたら、何かしら考えやサプライズがあるのかもしれない、とも警戒する。
だが、いくつかその意外となる展開を考えても、私のスタンスが変わるとは思えない。
そもそも、もし、この情況を打開するくらいの切り札を用意できているくらいなら、その話し合いとやらを「今すぐ」としなかったのも不自然だ。
そもそも、それだけの力があるヤツらだったら、自分たちがその時理解できなくても、冷静に話を聞くだけの余裕はあって然るべきであって、もう少しまともな議論が交わせるわけだし、私もこれほどどく悩むこともなかったかもしれない。
◇
ということは、いわゆる「これからのこと」について論議するのだろう。
話し合いではない。一方的な尋問である。
というか、そんな会議の決定で方針が決まったりするほど安易に構えている事自体が、気に入らない。
会社の営業ではないのだから、人なんて、そう簡単に変わるものではない。
だが、すぐに結果を求めたがるものだ。だから、問題なのだ。
◇
たとえば。
もし、その話し合いで先方が事由について頭を下げたとしても、私はそれを鵜呑みにするだろうか。鵜呑みにして、改心するだろうか。
今まで「自分は絶対に悪くない」というようなヤツだけに、真摯に謝ったことなど一度もないだけに、そうなったら確かにビックリするかもしれないけれど。
そんなもの、すぐには信じない。
長い時間をかけて見られる行動とその結果を、私がどう捉えるかだから、謝られたって困るだけなのだ。
謝られたら赦すようなことをするのは当人の自由だが、本当に重要なのはそんなところではない。
状況の改善は原則的に、謝って罪を認めた人間がその後どう動くかにかかっているのだから。
◇
話し合っても分からない。それはたぶん、私がハッキリ知っている。私は分かっても、相手が分からないなら意味がない。分かる方が分からない方に合わせるしか、歩みよりの方法はないのだから。
でも、それではダメなのだ。
往々にして、分かる方が優れたものを持っているのだから、劣るものに妥協することは道理ではない。
だから人とは、見えない“クラス”が存在すると思っている。そのクラス内の者の言動とは所詮、そのクラス内だけの表現に過ぎない。同じ階級同士の人物間なら、“納得”できない主張でも、“理解”はされる。
だが階級が違えば、理解もされないのだ。宇宙言語である。
ただし条件はあって、上位のクラスは下位のクラスを理解できることはあっても、下位のクラスは上位のクラスを理解することは絶対にない。
◇
先方は、話さなければ分からないとかいうが、向こうの場合、強制や命令である。このように上から目線だから分かるものも分からない。1つの人権主体だって認めているかすらも怪しいのだから。
だから、顔を見ないで済むように色々取り計らってきたが、その行動を見てきても、全然空気を読まない。
要するに、他人を察したりすることにかけても、弱いんだってコトも分かる。不器用なのではなく、そういう考えすらないのだ。
◇
寝ているときだけが安息だ、とは以前どこかで言った。
日常生活がナイフの上を歩くようなヒドイものだ。
1日1日を過ごすような1年を何度凌いだか分からない。それだけ執拗なのだ。
だが、最近は寝ている間ですら、安息を感じないことも増えてきた。
眠れはする。身体が眠る方法を体得しているからだ。
だが、夢の中で現実そのものとまったく変わらぬようなものを見ていると、さすがに安らげない。
◇
食べるものも、寝る場所も、とりあえずは、ある。
だが、気分的に前向きになることがなくなった。
「厭だな」と思うことしかなくなってくると、しかもそれが数年も続くと、――普通の人は、どうなるのだろう。
頑丈過ぎるのも、問題だ。どうせならこの世に降り立つなら、もっと頑丈な石であれば良かった。
そして、胎児のようにくぐもっていく。自分自身を自分自身の深層に、圧縮していく。
だから、どんどん畸形になっていく。
胎児のバケモノは、やがて、夢を見る。
いつの日か、己の力を存分に振るって活動できる日の夢だ。
◇◇◇
※ 「ゴーレム」のヒント
胎児、憤怒、ユダヤ人、選民思想、石人形、頑強無比。
3月19日現在、 37414位 / 1363298位 。
話し合っても分かり合えない。
だから、戦争をするわけだし、曲げられない対立だったら、どちらかが倒れるしかない。
それは、歴史だって証明している。
だが、これから未来志向を持ってしかるべき我々の世代というものは、愚かな大人どものように諦観ばかりをもっていてはならない。
譲歩や妥協もしないけれど、殺し合いもしたくなければ、どうするか。
お互いが干渉をしないように住み分けるしかないのである。
◇
言語が通じなければ、最終的には暴力で言うことを聞かせるしかない。
動物を躾けるには、制裁を与えたり、鞭や棒で打ち据える。
半殺しくらいの目に遭えば、大概の動物は聞き分けは良くなる。
近付いて半殺しの目に遭えば、その犬はもう近寄らないだろう。
◇
ルールがあっても、ルールというものは武力の前では沈黙するもの。
法律や社会道徳や慣習でそうすることになっていても、実際の行動の前にはどうすることもできない。
人の行動に歯止めなど基本的にはかけられないし、かけられるとしたら暴力という実力行使だ。
言うとおりにならないので、延々と拷問にかける。
結局、屈しなければ、その暴力で死んでいく。
その被迫害者だって、「精神や主義の自由までは奪われてたまるか!」といって殉死する。
結局、妥協をとるか、自らの滅亡をとるか、でしかない。
◇
で、迫害者が殺せないなら、結局、堂々巡りで、何かが変わることもないのだ。
迫害する者の方が有利な立場であるのが普通だし、迫害される者の方が意固地になっているのだから殺せないくらいのじわじわしたイヤガラセが続いても、それだけ強固な意志を以ってがんばっているんだから、妥協することはないだろう。お互いに何か好転するものがあるとは、とても思えない。
ゆえに、数年も続く冷戦の争点となる事由への
――それも腫れ物に触れるような対応で通してきた輩たちが深慮があるわけでもなく気まぐれで開催するといってくるような――
主義主張を巡る「話し合い」をしようというのは無謀であり、互いにとっていい結果どころか、悪化するだけの結果を生むだけなのだ。要するに、先方の自己満足で呼びかけてきたに過ぎない。
まったく、くだらない。
いや、待て――。
ひょっとしたら、何かしら考えやサプライズがあるのかもしれない、とも警戒する。
だが、いくつかその意外となる展開を考えても、私のスタンスが変わるとは思えない。
そもそも、もし、この情況を打開するくらいの切り札を用意できているくらいなら、その話し合いとやらを「今すぐ」としなかったのも不自然だ。
そもそも、それだけの力があるヤツらだったら、自分たちがその時理解できなくても、冷静に話を聞くだけの余裕はあって然るべきであって、もう少しまともな議論が交わせるわけだし、私もこれほどどく悩むこともなかったかもしれない。
◇
ということは、いわゆる「これからのこと」について論議するのだろう。
話し合いではない。一方的な尋問である。
というか、そんな会議の決定で方針が決まったりするほど安易に構えている事自体が、気に入らない。
会社の営業ではないのだから、人なんて、そう簡単に変わるものではない。
だが、すぐに結果を求めたがるものだ。だから、問題なのだ。
◇
たとえば。
もし、その話し合いで先方が事由について頭を下げたとしても、私はそれを鵜呑みにするだろうか。鵜呑みにして、改心するだろうか。
今まで「自分は絶対に悪くない」というようなヤツだけに、真摯に謝ったことなど一度もないだけに、そうなったら確かにビックリするかもしれないけれど。
そんなもの、すぐには信じない。
長い時間をかけて見られる行動とその結果を、私がどう捉えるかだから、謝られたって困るだけなのだ。
謝られたら赦すようなことをするのは当人の自由だが、本当に重要なのはそんなところではない。
状況の改善は原則的に、謝って罪を認めた人間がその後どう動くかにかかっているのだから。
◇
話し合っても分からない。それはたぶん、私がハッキリ知っている。私は分かっても、相手が分からないなら意味がない。分かる方が分からない方に合わせるしか、歩みよりの方法はないのだから。
でも、それではダメなのだ。
往々にして、分かる方が優れたものを持っているのだから、劣るものに妥協することは道理ではない。
だから人とは、見えない“クラス”が存在すると思っている。そのクラス内の者の言動とは所詮、そのクラス内だけの表現に過ぎない。同じ階級同士の人物間なら、“納得”できない主張でも、“理解”はされる。
だが階級が違えば、理解もされないのだ。宇宙言語である。
ただし条件はあって、上位のクラスは下位のクラスを理解できることはあっても、下位のクラスは上位のクラスを理解することは絶対にない。
◇
先方は、話さなければ分からないとかいうが、向こうの場合、強制や命令である。このように上から目線だから分かるものも分からない。1つの人権主体だって認めているかすらも怪しいのだから。
だから、顔を見ないで済むように色々取り計らってきたが、その行動を見てきても、全然空気を読まない。
要するに、他人を察したりすることにかけても、弱いんだってコトも分かる。不器用なのではなく、そういう考えすらないのだ。
◇
寝ているときだけが安息だ、とは以前どこかで言った。
日常生活がナイフの上を歩くようなヒドイものだ。
1日1日を過ごすような1年を何度凌いだか分からない。それだけ執拗なのだ。
だが、最近は寝ている間ですら、安息を感じないことも増えてきた。
眠れはする。身体が眠る方法を体得しているからだ。
だが、夢の中で現実そのものとまったく変わらぬようなものを見ていると、さすがに安らげない。
◇
食べるものも、寝る場所も、とりあえずは、ある。
だが、気分的に前向きになることがなくなった。
「厭だな」と思うことしかなくなってくると、しかもそれが数年も続くと、――普通の人は、どうなるのだろう。
頑丈過ぎるのも、問題だ。どうせならこの世に降り立つなら、もっと頑丈な石であれば良かった。
そして、胎児のようにくぐもっていく。自分自身を自分自身の深層に、圧縮していく。
だから、どんどん畸形になっていく。
胎児のバケモノは、やがて、夢を見る。
いつの日か、己の力を存分に振るって活動できる日の夢だ。
◇◇◇
※ 「ゴーレム」のヒント
胎児、憤怒、ユダヤ人、選民思想、石人形、頑強無比。
3月19日現在、 37414位 / 1363298位 。
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- 2011/03/20 (日)00:45:32
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即座に、殺気立った。
「今すぐでいいけど」
「ダメ。今酒が入ってるからまともな話が出来ないよ」
「――――――――」
やりきれないような気分で、いっぱいなのは言うまでもない。
普段から顔も見たくないと思っているような、相手である。
◇
約束の「話し合い」の明日のその時間までとその間とそれ以後の数日間(ヘタをすると数ヶ月)、暗澹たる気分が続き、物事がすべて上手くいかなくなる前兆である。
予告の人災だけに、それを防ぐ、あるいはその被害を最小限に食い止める方法はあるのだが、生憎避難場となる場所は地震ですべてオジャン。運命すらも味方をしない。
まぁ、いつも通りなんだけれど。
それでも、最悪な気分は拭えない。もう気分的なものに余裕はまったくないだけに、かなりあぶない。
今、以前ほど気力や活力が湧かないし、そうでなくても元気がないというか、滅入っている状態なのに、悪いときに最悪なものがかかってくる。
無感動状態になって、体温が下がってすらいる。
◇
それは、いわゆる“話し合い”になるのだろうか。
そもそも、私には一般的な会話を楽しむような機能はない。
既に自分なりの答えが常にあるし、多少の浮き沈みや優柔不断こそあれども、基本的に肚の在り方は決まっている。完結したものを持っているから、他の人々と話すと大体の場合、会話にならないことが多い。
というか、同じような次元の者たちでないと、会話が成立しない。
だからこそ、いつまでも味気ない生活の中を一人でやっていけるし、やってこられた。
その周囲は、完全にプラスマイナスゼロではない。
悪魔のようなヤツらばかりだ。
いや。種類にもよるのだろうが、悪魔のほうがまだマシかもしれない。
合理的な話が出来て、互いの意志の表示がし合えて、互いにそれを理解して条件の吟味をすることができて、正確に対立出来るだけ、なんぼかマシである。希望なんか持たないけれど。