あまりいい感じがしない
◇◇◇
本日は、教え子その①と大仏少年だった。
教え子その①は、国語。
大仏少年は、社会。
しかし大仏少年は、公立中高一貫校受験生なので、文章を書けなくてはならない。
データを見て、そこから自分が分かったことを2行程度の文章で以ってプレゼンするようなものが、解答になるタイプの問題だからだ。
こいつは勘が良いから、人並みにデータから察するものを見つけることは出来る。
ただ、字がとても汚い(なんせまっすぐ行にして書いていけないし、字の大きさに統一感がない)のと、
文章が書けない(説明が簡潔でなく主語も頻繁に抜ける)のが大問題だ。
で、受験校の傾向である。
以前、「ほれ見たか」と私が笑ったものである。偏差値70前後の私立中学と同じ勉強方法でなければよくは戦えないタイプのものになってきた。
今まで公立中高一貫校のカリキュラムのせいで、彼には社会の基礎単語がない。
基礎確認の1問1答はプリントで補う――!
よって、しばらくは「見てもらえる解答をつくる」ことがテーマである。
◇
だから、教え子その①のハイパー国語(その塾オリジナル教科書は随分前に終えたので、同業他社で名門と言えるところの教科書をコピーして行う授業)に付き合わせる。ちなみに教え子その①は、以前よりも難しい内容になったのに、長文を1回の授業で4つ扱うペースを保っている。
文章の中からデータを汲み取って、自分で言葉を補って答えなくてはならないのだから(<それも説明せよ>的なものだ)、あらすじを答えさせることで内容を把握し、場面構成を取ることで問題文の構造を知ることで、把握した内容の正しさを証明する私の授業は、いい勉強になるハズである。
というか。
この塾の<公立中高一貫校カリキュラム>は安上がりな分、リスクは大きい。
だって、受からなければ本当に得たものがないタイプのものだ。
受からないってことはそれだけ賢くはないことで、当然、勉強する姿勢も講師が注意せねば悪くなるし、折角得た「考えてみる癖」も普通の中学に行って使われなくなれば、元も子もない。
それで私立中学受験のカリキュラムは英語以外は、普通の中学でやる内容そのものである。その知識に触れたわけではないから、高校受験にだって有利に働くようなところもない。現に、昨年と一昨年の公立中高一貫校受験生はいまだにこの塾に通っている。それでウダツが上がっている様子がない。
私立受験の経験した子供は、普通の中学に行くと強いものだが、彼らは強くはなれないのだ(その子次第なところは大きいから、一般的な意見ではないとは思うけれど)。
◇
それではさすがに、この大仏少年が不憫すぎる気がした。
私は自分の受験が計られたように非合理的であり、理不尽とすら言えるのを今に確認してしまって怒りが未だに収まらないだけに、この気のいい(調子も良いのだが)少年が報われない結果と善くない評価をもらうことに静観していられるだろうか。本人は落ちても気にしなさそうだが、あれだけの大きなエネルギーを費やして何も得るものがなかった結果に終わるのは、理不尽にすら感じられた。
ええ。気分は義勇軍でした。
◇
陽子をマスターに選んだ慶国の麒麟ではないけれど、「私を選べ」みたいなことをやってみた。
あ、上の喩えは小野不由美さんの『十二国記』より。
「私はね、あの英検の企画もとても見ていられなかったんだよ。アレで得たものがあったか?」
少年、ぶるぶると首を振る。
「徒労だよ、徒労。で、今チミは公立中高一貫校を目指している。受かる気はあるか」
少年、いつもの適当な調子の良さでこくこく頷く。出っ張った腹が小刻みに揺れる。
上から目線で言えば、説教じみたものになる。
あくまで語って聞かせて理解のある話にしたいから、私は少年の膝の辺りでしゃがんで見上げて話す。
「だが、それですら徒労で終わると思っているから、私は今話をしているのだ。チミの受ける学校は、この子(=隣にいた教え子その①)が受ける学校よりも難しいんだ。この子は、今回偏差値67をマークした」
これは実はただ事ではないのだよ、だから先週はただ驚くことしか出来なかった――とさりげなく先週の態度のフォローをする。「まぐれだよ」というが、それでも「やったー」と笑う。……こっちはこれでよし、と。
◇
「この子と同じ模試を受けて偏差値70を取れないと、安心はできない学校だ。チミはこの子よりいい点を取れるかね?」
「自信ないよ!」
全然深刻さとか緊張のない声で即答する大仏少年。本心が見えづらいが、私の話で多少ヤバいという認識は改めてしたと見てよい。この子はいってしまえば、ひょっこりひょうたん島だ。
泣くのはイヤだ、笑っちゃう――!
暗くなることや悲しい話が嫌いだから、いつもヘラヘラするタイプなのだ。笑う門に福来るという、ある意味では自然体で究極の人徳者でもある。……なんだかホントに大仏に見えてきたが、とりあえずうっちゃっておこう。
◇
「でもねーせんせい」
教え子その①いわく、
「うちの成績で、こいつ(=大仏少年)の学校を入力したら合格圏内だったよお」
上等じゃないか。
塾長が生徒を褒めるときに、私もこうした横槍を入れてイヤな顔をさせることは、ままある。
だが、私は塾長とは違うのである。それすらも自分の論に取り込む。
「ほれ見たか。この子の成績でやっと可能性が出てくる学校なんだぞ。やっぱり偏差値70を目指せるような実力じゃないと、勝負にならないんだ。ハッキリいって、勝てる勝負じゃないよ、この塾で偏差値70を取る豪傑なんかいないでしょ、見たことあるか?」
いない。本日確認したが(というかこの話がメインになる予定だ)、今年受験の小学6年生だけでなく小学5年生を入れても、教え子その①が圧倒的にマシな成績だ。他はみんな40台で、私立受験の小6生達は40台ですら危うい。……偏差値50も取れないのか! 一体どんな塾なんだ、ここは!?
◇
「いいかい。中学受験は運命が変わってしまう一大事だ。その後の人生で挽回できるかはともかく、ほとんどの場合はこれで一生の価値の半分が決まると思ったってよい。だが、チミの学校はまず入れるようなところではない」
大仏少年、神妙になる。
「このままあないだの英検のように、まったく見込みのないまま、敗北が分かりきった状態で受験をするのか。どうせ戦うなら、少しでも勝てる見込みあって受験するべきではないか。そうは思わない?」
大仏少年が私の目を見て、一回だけ頷いた。そこに、いつもの調子よい頷き方はなかった。
ゆっくりと、力強ささえある、確実な頷き方をした。
もちろん、演技かもしれない。だって、勝てる保障はないし、その可能性を出せるとはまったく言ってないのだから。だから私はしばらく、大仏少年の瞳を見据えた。これで笑うなら張っ倒す。
「多少厳しいものになるかもしれないが、やる気があるなら、手塩にかけて最後までキッチリ私が面倒を見る。どうする、やってみるか、あと6ヶ月」
さすがに、にこにこ様子を見ていた教え子その①が静かになっていた。
「やる」
真顔で短く答えた。肚からの声だと受け取ることにする。
「その言葉、忘れるでないぞ」
その日、大仏少年はやっぱりファンキーだがふざけ過ぎることはなく、むしろ教え子その①の方がきゃぴきゃぴして、通りがかった塾長に注意された。いつもなら、彼女以上に一人でハイテンションになって騒いでいる大仏少年で塾長に怒られることが多いだけに、驚くべきことだった。
少し抑えていたのは気のせいではない。適度に笑い喋るものの、総じてマジメに授業を受けてくれた。
ノートを取るような板書はなかったのだが、マジメに授業で文章を組み立てた形跡が、計算用紙の雑紙に残った。
さて――。
彼は辛うじて「やる」と言ったわけである。最初は合格かな。
次の模試は10月下旬。それまでを一旦の区切りとして面倒を見るようにしてみようと思う。
それで授業について来れてシッカリ勉強するなら、試験結果も多少は変わるハズだ。
そのときにもう1度、「悔いのないように受ける気はあるか」と訊いてみるつもりである。
◇
さて。
先ほど出た、中学受験生の状況である。
教え子その①が、4科目平均偏差値54。
それ以外は、偏差値40も危険なレヴェルであった。
教え子その②は偏差値40に毛が生えた程度。ただ、案の定、初の模試であった。答え方を知らないし、油断すると解答欄に落書きするようなところがあったりするから、この子はあまり問題はない。馴れていないだけだから。殴り方を知らなければ、いくら力が強くても、正当なダメージを加えられないのと同じで、考えていることをそのまま解答に結び付けられなければ、分かっていることが察せられてもマルはもらえない。
◇
結構凝った服を毎度着ている、寡黙で反応のない少女は自習スペースでよく見かけたが、それでも30台後半だったので、驚いた。
公立中高一貫校の模試は首都圏模試ではないものの、2人(=大仏少年と教え子その①が非難する少女)偏差値は40台。私立受験の小6生は他に男の子と女の子がもう1人ずついたが、前者は40前後で危ういライン。
後者は4月の頃、教え子その①と比較対照とされた少女であった。
◇
以前、私を切り捨てた小学6年生の少女がいた。
2単元を終えたがさっさと進もうとした私は、授業時間内では3単元目が終われずに、中途半端に終わってしまった。それに早速腹を立てて、私をお役御免にした生徒(+その保護者)である。
たしかそのときのブログに「私はこれでもそれなりの力があったんだ、その私の助けをなくしてどこまで戦えるか」と負け惜しみじみたことを書いていた覚えがある。
◇
彼女は、塾でも最も危険度の高い生徒だ。
なぜなら、教育ママがヒステリックにうるさい。娘の報告することなんでも信じるバカ親で、元々は集団塾にいたがうまくやっていけずに個別指導塾に流れてきた背景を持つ。つまり、生徒本人もワガママな子供であり泣き虫なのだ。それで親も一緒になってワガママを言うどうしようもない人たちである。
その親の希望は難関と呼ばれるレヴェルである。
それくらいになると、小学生本人だけの力では無理だ。
で、教え子その①のライヴァル扱いで塾長は口にしていた。
「先生、今回(=4月)初めてこの子に教え子その①が国語で負けたよ」
それは発破のつもりなのか分からなかったので、それで口論になった記憶がある。
◇
7月4日の成績を見て、驚いた。
偏差値40も危ういレヴェルである。30台の数字がコバカにしたように踊り狂っている。
というか、4月の段階でも50に届くか届かないか、であった。
隣にいたパイロットさんについ話しかけてしまった。
「この子は――ひどいね。親御さんは60台の学校とかって叫んで娘の尻叩いてるんだろーなぁ」
とりあえず、気に入らないところのある生徒だ。
だって、教え子その①がこんなガキンチョの軍門に降ることがあってはならないのだから、私はホッとしていた。私は幼稚か? 何が悪い。それでプライドがかかるなら、子供にだって容赦はしないのだ。
ホッとしていたら、思いもよらない返事がきて、少し驚くことになった。
「ああ、この子は受験を止めたんだって」
◇
納得いかないところはない。
だが、彼女はまだ塾に通っていた。だから、ちょっとショッキング。
「……いつから?」
「だいぶ前だったと思うよ。塾長から聞いた」
塾長に普段から人間扱いされていない(笑)ので、そういった情報や塾長の考えには詳しいパイロットさんであった。
4月のそのときは、まだ受験生だったハズだ。ということは、5月か6月に中止決定をしたのだろう。
塾に通っていて4月の次の模試でこんな成績なら、確かに止めて正解だったのかもしれない。
とはいえ、その塾では、数少ない有望な受験生と目されていた(成績はともかく向学心だけはあった)だけに、少し哀しみのようなものを覚えるものがあった。
◇
本人はしつこく言えば、塾も辞めてしまうようなタイプだ。
だが、7月の模試で偏差値50近くなっていれば、再び受験をやってみようという気になったかもしれない。
リーダー講師にべっとりな子供だった。
理系文系をこなす天才肌の男だが、それだけデキるのにプライドが貧相なのか、己の実力をよくひけらかす。単に若いだけか。強力なドラゴンのような男だから、おっかないし尊敬に値するが、それは実力面だけだ。
ノリは良いのだろうが性格はあまりやさしくはないと思う。結構要領の良い冷たいタイプだと思う。実力は認められるが、同年代で同じような若者でなければ、あまり性格の良い男には見えない。
リーダー講師は先月の講師の講習会で
「今の子達って全然勉強しないじゃん? 俺たちが現役のときもっと勉強していたじゃん」
と演説していた男である。
立場だけにその子が受験を止めた話は知らないハズがないし、それだけ懐いていた子供だけに、仇花のつもりでも7月の成績を上げてやろうという気にならなかったのか。
思わなかったんだろうな。
塾長は口を酸っぱくして
「生徒の成績に興味のない講師なんか要らない」
という(先日の講師講習会でも言った)が、たぶん一番興味がないのはこのリーダー講師なんじゃないかなーとも思う。立場的なものを鑑みた相対的なもので言ったら、その考えは揺るがないものになる。
でも、彼の性格から考えられる言い分は理解できる。
「勉強なんて基本1人でやるもんだし、成績を上げるのは自分の問題だろ」
というだろうし、塾長なんか大バカであり(私もそう思う)、死ねば良いとすら思っていそうな男だけに、意見が合わなくて嬉しいに違いない。
◇
塾長にしても、リーダー講師にしても。
ともかく、2月ごろのブログで書いたこと――つまり、2ヶ月で私が見たこの塾の光景とは、正解も大正解だったことになる。
この塾長とベテラン講師たちで、今までの芳しい中学受験の結果はない――、あのとき私は確かそうほざいた。
受かる子供も受からなくしている。
成績を上げるべく子供もそんな努力がない。
完全に、良い駒が入塾してこない限り、可能性はないのだ。
勉強しないのが悪いなら、マンモス塾の人海戦術と同じだ。所属生徒が多ければ、受かる子供も多い。勉強しないヤツは、置いて行く。個人指導という看板は、一体何を意味しているのだろうか。
それだけなつく子供なら、塾で勉強させる以上のことが出来るだろう。
単にルーティンワークのような宿題の出し方だて善くない。
消化率100%に出来る宿題にせねば、沢山出しても意味がない。
宿題そのものというつらい義務ではなく、宿題でその子の勉強方法が身につくように考え抜いた宿題の出し方でないと、悪循環にすらなる。イタズラに多いだけだと、忙殺されるだけで、その末に答えを見て写すのと同じ結果となって、結局忙しくなるだけで全然こなしたものが身についていなかったりなんて、この塾ではザラに違いない。
◇
勉強しないと、リーダー講師は言った。
彼は中学受験経験講師で、広島の方の超名門学校を入学し、こちらに引っ越してきたときに高校受験も良い成績で通った、エリートそのものだ。
彼は自分がかつて生徒として関わってきた塾講師をどう思っているのだろうか。
たぶん、何にも思い入れはなかったんだろうと予想する。
ナガシマさんと同じで本人のデキが良いタイプだったから、<受験生>をプロデュースする監督としては優秀ではないのだろう。
もし良い先生の下で育ってきたのなら、その先生と今の自分を重ねて考えるくらいの賢しさはあるだろうから。
◇
まぁ、それでもいいさ。
私は光栄ある孤立を選択する、流れ者。異端講師で上等だ。
ビート・ザ・システム――。
こんな塾の流れにはあくまで賛同しないから、浮いているのだ。
彼がナガシマさんなら、私はノムさん的なものだろうと勝手に位置づける。
あまりキレイな喩えではないから不本意だが、今はそれでも良い気分がしている。
彼は煙たい監督だと言われても、誰よりも野球を愛していたのだから。
7月19日現在、 29386位 / 1300560位 。
本日は、教え子その①と大仏少年だった。
教え子その①は、国語。
大仏少年は、社会。
しかし大仏少年は、公立中高一貫校受験生なので、文章を書けなくてはならない。
データを見て、そこから自分が分かったことを2行程度の文章で以ってプレゼンするようなものが、解答になるタイプの問題だからだ。
こいつは勘が良いから、人並みにデータから察するものを見つけることは出来る。
ただ、字がとても汚い(なんせまっすぐ行にして書いていけないし、字の大きさに統一感がない)のと、
文章が書けない(説明が簡潔でなく主語も頻繁に抜ける)のが大問題だ。
で、受験校の傾向である。
以前、「ほれ見たか」と私が笑ったものである。偏差値70前後の私立中学と同じ勉強方法でなければよくは戦えないタイプのものになってきた。
今まで公立中高一貫校のカリキュラムのせいで、彼には社会の基礎単語がない。
基礎確認の1問1答はプリントで補う――!
よって、しばらくは「見てもらえる解答をつくる」ことがテーマである。
◇
だから、教え子その①のハイパー国語(その塾オリジナル教科書は随分前に終えたので、同業他社で名門と言えるところの教科書をコピーして行う授業)に付き合わせる。ちなみに教え子その①は、以前よりも難しい内容になったのに、長文を1回の授業で4つ扱うペースを保っている。
文章の中からデータを汲み取って、自分で言葉を補って答えなくてはならないのだから(<それも説明せよ>的なものだ)、あらすじを答えさせることで内容を把握し、場面構成を取ることで問題文の構造を知ることで、把握した内容の正しさを証明する私の授業は、いい勉強になるハズである。
というか。
この塾の<公立中高一貫校カリキュラム>は安上がりな分、リスクは大きい。
だって、受からなければ本当に得たものがないタイプのものだ。
受からないってことはそれだけ賢くはないことで、当然、勉強する姿勢も講師が注意せねば悪くなるし、折角得た「考えてみる癖」も普通の中学に行って使われなくなれば、元も子もない。
それで私立中学受験のカリキュラムは英語以外は、普通の中学でやる内容そのものである。その知識に触れたわけではないから、高校受験にだって有利に働くようなところもない。現に、昨年と一昨年の公立中高一貫校受験生はいまだにこの塾に通っている。それでウダツが上がっている様子がない。
私立受験の経験した子供は、普通の中学に行くと強いものだが、彼らは強くはなれないのだ(その子次第なところは大きいから、一般的な意見ではないとは思うけれど)。
◇
それではさすがに、この大仏少年が不憫すぎる気がした。
私は自分の受験が計られたように非合理的であり、理不尽とすら言えるのを今に確認してしまって怒りが未だに収まらないだけに、この気のいい(調子も良いのだが)少年が報われない結果と善くない評価をもらうことに静観していられるだろうか。本人は落ちても気にしなさそうだが、あれだけの大きなエネルギーを費やして何も得るものがなかった結果に終わるのは、理不尽にすら感じられた。
ええ。気分は義勇軍でした。
◇
陽子をマスターに選んだ慶国の麒麟ではないけれど、「私を選べ」みたいなことをやってみた。
あ、上の喩えは小野不由美さんの『十二国記』より。
「私はね、あの英検の企画もとても見ていられなかったんだよ。アレで得たものがあったか?」
少年、ぶるぶると首を振る。
「徒労だよ、徒労。で、今チミは公立中高一貫校を目指している。受かる気はあるか」
少年、いつもの適当な調子の良さでこくこく頷く。出っ張った腹が小刻みに揺れる。
上から目線で言えば、説教じみたものになる。
あくまで語って聞かせて理解のある話にしたいから、私は少年の膝の辺りでしゃがんで見上げて話す。
「だが、それですら徒労で終わると思っているから、私は今話をしているのだ。チミの受ける学校は、この子(=隣にいた教え子その①)が受ける学校よりも難しいんだ。この子は、今回偏差値67をマークした」
これは実はただ事ではないのだよ、だから先週はただ驚くことしか出来なかった――とさりげなく先週の態度のフォローをする。「まぐれだよ」というが、それでも「やったー」と笑う。……こっちはこれでよし、と。
◇
「この子と同じ模試を受けて偏差値70を取れないと、安心はできない学校だ。チミはこの子よりいい点を取れるかね?」
「自信ないよ!」
全然深刻さとか緊張のない声で即答する大仏少年。本心が見えづらいが、私の話で多少ヤバいという認識は改めてしたと見てよい。この子はいってしまえば、ひょっこりひょうたん島だ。
泣くのはイヤだ、笑っちゃう――!
暗くなることや悲しい話が嫌いだから、いつもヘラヘラするタイプなのだ。笑う門に福来るという、ある意味では自然体で究極の人徳者でもある。……なんだかホントに大仏に見えてきたが、とりあえずうっちゃっておこう。
◇
「でもねーせんせい」
教え子その①いわく、
「うちの成績で、こいつ(=大仏少年)の学校を入力したら合格圏内だったよお」
上等じゃないか。
塾長が生徒を褒めるときに、私もこうした横槍を入れてイヤな顔をさせることは、ままある。
だが、私は塾長とは違うのである。それすらも自分の論に取り込む。
「ほれ見たか。この子の成績でやっと可能性が出てくる学校なんだぞ。やっぱり偏差値70を目指せるような実力じゃないと、勝負にならないんだ。ハッキリいって、勝てる勝負じゃないよ、この塾で偏差値70を取る豪傑なんかいないでしょ、見たことあるか?」
いない。本日確認したが(というかこの話がメインになる予定だ)、今年受験の小学6年生だけでなく小学5年生を入れても、教え子その①が圧倒的にマシな成績だ。他はみんな40台で、私立受験の小6生達は40台ですら危うい。……偏差値50も取れないのか! 一体どんな塾なんだ、ここは!?
◇
「いいかい。中学受験は運命が変わってしまう一大事だ。その後の人生で挽回できるかはともかく、ほとんどの場合はこれで一生の価値の半分が決まると思ったってよい。だが、チミの学校はまず入れるようなところではない」
大仏少年、神妙になる。
「このままあないだの英検のように、まったく見込みのないまま、敗北が分かりきった状態で受験をするのか。どうせ戦うなら、少しでも勝てる見込みあって受験するべきではないか。そうは思わない?」
大仏少年が私の目を見て、一回だけ頷いた。そこに、いつもの調子よい頷き方はなかった。
ゆっくりと、力強ささえある、確実な頷き方をした。
もちろん、演技かもしれない。だって、勝てる保障はないし、その可能性を出せるとはまったく言ってないのだから。だから私はしばらく、大仏少年の瞳を見据えた。これで笑うなら張っ倒す。
「多少厳しいものになるかもしれないが、やる気があるなら、手塩にかけて最後までキッチリ私が面倒を見る。どうする、やってみるか、あと6ヶ月」
さすがに、にこにこ様子を見ていた教え子その①が静かになっていた。
「やる」
真顔で短く答えた。肚からの声だと受け取ることにする。
「その言葉、忘れるでないぞ」
その日、大仏少年はやっぱりファンキーだがふざけ過ぎることはなく、むしろ教え子その①の方がきゃぴきゃぴして、通りがかった塾長に注意された。いつもなら、彼女以上に一人でハイテンションになって騒いでいる大仏少年で塾長に怒られることが多いだけに、驚くべきことだった。
少し抑えていたのは気のせいではない。適度に笑い喋るものの、総じてマジメに授業を受けてくれた。
ノートを取るような板書はなかったのだが、マジメに授業で文章を組み立てた形跡が、計算用紙の雑紙に残った。
さて――。
彼は辛うじて「やる」と言ったわけである。最初は合格かな。
次の模試は10月下旬。それまでを一旦の区切りとして面倒を見るようにしてみようと思う。
それで授業について来れてシッカリ勉強するなら、試験結果も多少は変わるハズだ。
そのときにもう1度、「悔いのないように受ける気はあるか」と訊いてみるつもりである。
◇
さて。
先ほど出た、中学受験生の状況である。
教え子その①が、4科目平均偏差値54。
それ以外は、偏差値40も危険なレヴェルであった。
教え子その②は偏差値40に毛が生えた程度。ただ、案の定、初の模試であった。答え方を知らないし、油断すると解答欄に落書きするようなところがあったりするから、この子はあまり問題はない。馴れていないだけだから。殴り方を知らなければ、いくら力が強くても、正当なダメージを加えられないのと同じで、考えていることをそのまま解答に結び付けられなければ、分かっていることが察せられてもマルはもらえない。
◇
結構凝った服を毎度着ている、寡黙で反応のない少女は自習スペースでよく見かけたが、それでも30台後半だったので、驚いた。
公立中高一貫校の模試は首都圏模試ではないものの、2人(=大仏少年と教え子その①が非難する少女)偏差値は40台。私立受験の小6生は他に男の子と女の子がもう1人ずついたが、前者は40前後で危ういライン。
後者は4月の頃、教え子その①と比較対照とされた少女であった。
◇
以前、私を切り捨てた小学6年生の少女がいた。
2単元を終えたがさっさと進もうとした私は、授業時間内では3単元目が終われずに、中途半端に終わってしまった。それに早速腹を立てて、私をお役御免にした生徒(+その保護者)である。
たしかそのときのブログに「私はこれでもそれなりの力があったんだ、その私の助けをなくしてどこまで戦えるか」と負け惜しみじみたことを書いていた覚えがある。
◇
彼女は、塾でも最も危険度の高い生徒だ。
なぜなら、教育ママがヒステリックにうるさい。娘の報告することなんでも信じるバカ親で、元々は集団塾にいたがうまくやっていけずに個別指導塾に流れてきた背景を持つ。つまり、生徒本人もワガママな子供であり泣き虫なのだ。それで親も一緒になってワガママを言うどうしようもない人たちである。
その親の希望は難関と呼ばれるレヴェルである。
それくらいになると、小学生本人だけの力では無理だ。
で、教え子その①のライヴァル扱いで塾長は口にしていた。
「先生、今回(=4月)初めてこの子に教え子その①が国語で負けたよ」
それは発破のつもりなのか分からなかったので、それで口論になった記憶がある。
◇
7月4日の成績を見て、驚いた。
偏差値40も危ういレヴェルである。30台の数字がコバカにしたように踊り狂っている。
というか、4月の段階でも50に届くか届かないか、であった。
隣にいたパイロットさんについ話しかけてしまった。
「この子は――ひどいね。親御さんは60台の学校とかって叫んで娘の尻叩いてるんだろーなぁ」
とりあえず、気に入らないところのある生徒だ。
だって、教え子その①がこんなガキンチョの軍門に降ることがあってはならないのだから、私はホッとしていた。私は幼稚か? 何が悪い。それでプライドがかかるなら、子供にだって容赦はしないのだ。
ホッとしていたら、思いもよらない返事がきて、少し驚くことになった。
「ああ、この子は受験を止めたんだって」
◇
納得いかないところはない。
だが、彼女はまだ塾に通っていた。だから、ちょっとショッキング。
「……いつから?」
「だいぶ前だったと思うよ。塾長から聞いた」
塾長に普段から人間扱いされていない(笑)ので、そういった情報や塾長の考えには詳しいパイロットさんであった。
4月のそのときは、まだ受験生だったハズだ。ということは、5月か6月に中止決定をしたのだろう。
塾に通っていて4月の次の模試でこんな成績なら、確かに止めて正解だったのかもしれない。
とはいえ、その塾では、数少ない有望な受験生と目されていた(成績はともかく向学心だけはあった)だけに、少し哀しみのようなものを覚えるものがあった。
◇
本人はしつこく言えば、塾も辞めてしまうようなタイプだ。
だが、7月の模試で偏差値50近くなっていれば、再び受験をやってみようという気になったかもしれない。
リーダー講師にべっとりな子供だった。
理系文系をこなす天才肌の男だが、それだけデキるのにプライドが貧相なのか、己の実力をよくひけらかす。単に若いだけか。強力なドラゴンのような男だから、おっかないし尊敬に値するが、それは実力面だけだ。
ノリは良いのだろうが性格はあまりやさしくはないと思う。結構要領の良い冷たいタイプだと思う。実力は認められるが、同年代で同じような若者でなければ、あまり性格の良い男には見えない。
リーダー講師は先月の講師の講習会で
「今の子達って全然勉強しないじゃん? 俺たちが現役のときもっと勉強していたじゃん」
と演説していた男である。
立場だけにその子が受験を止めた話は知らないハズがないし、それだけ懐いていた子供だけに、仇花のつもりでも7月の成績を上げてやろうという気にならなかったのか。
思わなかったんだろうな。
塾長は口を酸っぱくして
「生徒の成績に興味のない講師なんか要らない」
という(先日の講師講習会でも言った)が、たぶん一番興味がないのはこのリーダー講師なんじゃないかなーとも思う。立場的なものを鑑みた相対的なもので言ったら、その考えは揺るがないものになる。
でも、彼の性格から考えられる言い分は理解できる。
「勉強なんて基本1人でやるもんだし、成績を上げるのは自分の問題だろ」
というだろうし、塾長なんか大バカであり(私もそう思う)、死ねば良いとすら思っていそうな男だけに、意見が合わなくて嬉しいに違いない。
◇
塾長にしても、リーダー講師にしても。
ともかく、2月ごろのブログで書いたこと――つまり、2ヶ月で私が見たこの塾の光景とは、正解も大正解だったことになる。
この塾長とベテラン講師たちで、今までの芳しい中学受験の結果はない――、あのとき私は確かそうほざいた。
受かる子供も受からなくしている。
成績を上げるべく子供もそんな努力がない。
完全に、良い駒が入塾してこない限り、可能性はないのだ。
勉強しないのが悪いなら、マンモス塾の人海戦術と同じだ。所属生徒が多ければ、受かる子供も多い。勉強しないヤツは、置いて行く。個人指導という看板は、一体何を意味しているのだろうか。
それだけなつく子供なら、塾で勉強させる以上のことが出来るだろう。
単にルーティンワークのような宿題の出し方だて善くない。
消化率100%に出来る宿題にせねば、沢山出しても意味がない。
宿題そのものというつらい義務ではなく、宿題でその子の勉強方法が身につくように考え抜いた宿題の出し方でないと、悪循環にすらなる。イタズラに多いだけだと、忙殺されるだけで、その末に答えを見て写すのと同じ結果となって、結局忙しくなるだけで全然こなしたものが身についていなかったりなんて、この塾ではザラに違いない。
◇
勉強しないと、リーダー講師は言った。
彼は中学受験経験講師で、広島の方の超名門学校を入学し、こちらに引っ越してきたときに高校受験も良い成績で通った、エリートそのものだ。
彼は自分がかつて生徒として関わってきた塾講師をどう思っているのだろうか。
たぶん、何にも思い入れはなかったんだろうと予想する。
ナガシマさんと同じで本人のデキが良いタイプだったから、<受験生>をプロデュースする監督としては優秀ではないのだろう。
もし良い先生の下で育ってきたのなら、その先生と今の自分を重ねて考えるくらいの賢しさはあるだろうから。
◇
まぁ、それでもいいさ。
私は光栄ある孤立を選択する、流れ者。異端講師で上等だ。
ビート・ザ・システム――。
こんな塾の流れにはあくまで賛同しないから、浮いているのだ。
彼がナガシマさんなら、私はノムさん的なものだろうと勝手に位置づける。
あまりキレイな喩えではないから不本意だが、今はそれでも良い気分がしている。
彼は煙たい監督だと言われても、誰よりも野球を愛していたのだから。
7月19日現在、 29386位 / 1300560位 。
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- 2010/07/20 (火)02:26:00
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週5日で入っているが、私は1日に1コマか2コマしかやろうと思わないので、それほど忙しいというわけではない。
というのは、もちろんウソである。
1人の生徒をキッチリ面倒見るし、授業の完成度を目指しているので時間外労働が厳しい。
「先生(=私)はおれのやり方と似ているね」
本日出勤してコピーを取っていると塾長がそういってきたが、まったく褒め言葉になっていないのは言うまでもない。まぁ、塾長本人に悪気はないし、むしろ褒めているのだろうけれど。
「おれも予習をしないと自信がないからね」
私は予習でその単元のみの内容を頭に叩き込む即席講師ではない。予習をするのは、良問悪問を吟味するためだ。また、自分で同じように問題を解くことでその単元がどれくらいの労力と時間が要るのかが見えてくる。つまり、飽くまでその1回の授業計画のためなのである。
塾長はたまに授業を受け持つ。なにが良くないと言うのは難しいが、――あまりいい授業をしているとは思えない。上から目線であり早口だから、突きつけるように物を言う。
で、その説明が画一化されているかというとそれほどでもない。
「おまえなに、この程度も出来てないのか!」
英検4級を受ける予定の小学生にいった言葉である。それまでの6回(8回目だったかも)で英語の構文というか、基本的な構成と日本語訳などが体系的に教育されていなかったせいなのだ。
◇
動詞には、<現在形><過去形>などの形があるなども理解しておらず、英文の穴埋めのデキの悪さに「これじゃあ受かんねぇよ!」と塾長が怒っていたが、それはこのプロジェクトの計画の悪さのせいでもある。大体、そんなプロジェクトを提案したなら、落ちたって後の為になるように計画を組むのが、策というものであろうに。塾長は学生講師をたらい回しにした。1回1回講師が違う。その生徒は気も調子もが良い小型大仏少年であり、次男坊のせいか人の機嫌を伺うのが鋭いせいか、直感の良さは天下一品なのだ。だから先生にその場シノギでいい顔するための分かったフリも上手い。勘がすばらしく良いので、運が良いと正答率60%をたたき出すことすらある。
だが、解答が<なんでそうなるのか>がまるっきり理解していないのだ。
運も良いから勘で当たりまくったものは分かったことにしているし、講師も適当な担当配分だから、深く追求もしないのだ。後に全12回のそのプロジェクトで4回担当する機会があったパイロット先生が警鐘を訴えていたのを何度か聞いた。
リスニングのデキがまぁまぁなのでそれが合否を分ける、自分の回の授業はリスニングをひたすら鍛えたと仰っていた。それで「どうなるかなー、心配だなー」とか言っているから、
「どうせなら、パイロットさんが全部担当すれば良かったのに」
私にメインの采配でまわしてくださいって、とか言ってみる。
もちろん、そんなことを言えば「絶対だな、責任だぞ」とかオドシに来る塾長だ。
「私1人で全部担当するのもどこか偏りが出る気がして」
それは私だって常々感じていることだ。
だが、問題はそこにはない。
「そうかもしれないけどさ、勝ち得るまでのプランがそこまで見通せるのなら、不合格だって彼が得るもののあるプロジェクトになったに違いない。問題なのは」
かくいう私も後半で1回担当したから問題の所在を知っている。
◇
「問題なのは、1回の授業で毎度<ン年度過去問>を文字通り一方的に解かしていた“だけ”だってことでしょ。あれだけやっていたのに、大仏少年は英語の<え>の字も分かっていなかったよ。主語と動詞で成り上がっていることすら知らなかったんだよ? 全然何の知識もなく問題を解かせているだけじゃあ、問題自体を丸ごと覚えない以上は正答率なんか上がるわけがない、勘が良いとはいえ所詮あてずっぽうなんだから」
あの大仏少年は、英文をシルエットの形で見てその並び方の形へのセンスで、4つの選択肢の中から1つ選んでいるだけなのだ。
「そーそー。まさにそうなんだ」
パイロットさん、大いに頷く。
「12回もあるんだから、英単語を覚えることを基本にしても、英語学習を先取りする感じで基礎文法の体系や概観を教えるなり、ノートを作らせるなりするべきだったんだ。あれじゃあ身についたものなんか何にもない。これで合格する以外に彼(とその企画へのスポンサー)が報われる道がなくなったのだから。受かるのも神頼みだし、お金と労力と時間をドブに捨てたようなものだ」
「………ねぇ」
さすがに極論だけに、頷き方が慎重になるパイロットさんだった。
もはや塾長が脅すとかの問題ではないのだ。
本気で生徒やお金を出す保護者のことを考えたら、こうする以外に良い選択肢はないのである。
でなけりゃ、異端講師として振舞う必要は、私にはない。
問題講師の恰好をしていれば、0点を笑ったところで「しょうがない」で済むし、いざというときにズバッと物を言うと説得力になる。少なくとも塾長のやり方も、それを苦々しく思っていながらも適当にこなす学生講師を始めとしたベテランどものやり方も、私は賛同できないからだ。
◇
話を戻します。塾長の大仏少年への英検プロジェクトの授業である。
前回の復習内容たる小テストが全然出来が悪く、しかも、名詞は動詞はなどという口頭質問にもトンチンカンな答えをする大仏少年に、慌てた――を通り越して腹を立てたわけである。
恐らく、大仏少年は聞いたこともないようなことを聞かれていた。
太っていて適当に流すところ流す調子与三郎だけど、理不尽に怒られているのが分かるだけに気の毒だった。
「動詞の種類」
だのをはじめ、
「未来形」
だの
「進行形」
だの単元の固有名詞を早口でばばばっと、掃き掃除をやっつけ仕事でやるが如く説明して「ダメだダメだ」と繰り返す。理解が早い生徒だって、これじゃあついて来れないし、ましてや英語の文法なんか皆無の小学生だ。ひたすら罵倒されているだけの授業だった。これはいくらなんでもかわいそうだったので、その授業の終わりに「災難だったな。だけど、気にするなよ? 習ってもいなかったんだろ?」とドンマイという調子で肩を叩いたものだった。ドンマイなんてのは、私の柄ではない。
◇
この塾長の授業ないし説明を見る機会は何度かあったが、良いと思えるようなことはなかった。自習中の学生に受動態の説明をしたって、答えだけをスパーンと教えるわけでもなく、英文中に3つ並んだ空欄の最初と最後を隠して、「真ん中に意味を決定する単語が来る」的な要領のない説明をぐだぐだやって結局どこまでが文法の構文なのか分からないような話だった。
「 be unknown to 」
など、特殊な形の受動態だということも指摘がない。結局基本的な
「 be (動詞の過去分詞形) by (元の文章のSだった名詞) 」
などの基本的文法も確認しないし、元の文章
「 S(=主語) V(=動詞) O(=目的語) 」
を取り出して、このVが「be (過去分詞)」になるんだというようなこともやらない。
ダメだよ。全然分かっていないんだから、手抜きの説明をしちゃ、余計に混乱するだけだろうに。
その後、塾長が席に戻るのを確認して、その自習中学生に文法のおさらいをした。尚、彼がやっていたのは、受動態でも基本的なものではなく、特殊な形を取る例外だった。それは大学受験でも生きてくる重要な単元だ。その辺をキッチリフォローして、立ち去る。私は英語は不得意だから(日本語だってビミョーだし)、大したことは出来ないのだ。
◇
ともかく、そんなわけで塾長が「おれのやり方に似ている」と言われても全然うれしくないどころか、危機感すら持ったものであった。まぁ、私の授業に関する信頼度があることは分かったので、曖昧に笑んで「いいクオリティの授業をこなしたいので」とやり過ごす。