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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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 ずっとあなたが・・・ 10

 歌い出してみたり、塗りつぶしたような目になってみたり、どうしようもない状態は、もはや直しようが無かった。ともかく、第一志望校となる私立中学校の偏差値は64で、これは低いとはとても言えない。だが、試験問題を見ても、彼が解けないことは無いような難易度だし、模試偏差値的にも充分合格可能圏ではあったから、出来る限り今の実力のマイナスにならないようにすることが、仕事だったと言える。
 実際、過去問題の書籍を買ってもらったものの、授業に毎回持ってこないばかりか、持ってきても、キチンとやらない。結局、4科目を最近の1年度分もやれなかった。
 算数で2年度分(各2次試験までの計4回分)を扱うのがやっとだった。
 授業はちょっと動けば「つかれたつかれた」といって動かなくなるし、元気があれば雑談ばかりする。問題を解くように促しても、やる気が無いから、結局わたしが解いているだけに終わってしまった。怒ったところで、姿勢は直ってもちゃんと解ろうとしない。
 そんな日々が続く中で、特筆すべき事件は起こる。
            ◇
 彼が自習に来ている時に、電話が鳴り、現場監督が出たときだった。
「ママが電話してきた!!」
 突然彼が喚き出した。尋常でない彼の様子に、事務の方が慌てて駆け付けて背中を撫でたり宥めてみたりしていた。しかし、まったく効果が無かった。悲鳴を上げて泣き出し、そのままスッパスッパと水中でもないのに、おぼれたようにもがき始めた。
 そのときわたしは少し離れたところにいたのだが、妙な感じがして授業を一旦停止させ、彼の座る席へ向かった。
 彼は過呼吸状態に、陥っていた。空気を吸い込むのだが、吐き出していない。顔を真っ赤にしてバタバタしていた。事務の方が救急車を呼ぼうとしていた。
 その当時のわたしは、そんなにヤバい状態であることもパッと見て解らなかったから、狂態の彼に「落ち着きなさい」と言っただけだった。
「ママが電話をかけてきた!」
「よく聞きなさいな。(現場監督)は『高校受験がどうの』って言っているじゃない。キミのおうちは高校受験とは無関係でしょ。何をそんなに動揺しているの」
 誰かが話している声を、わたしは授業をやっていようが、必ず聴いている。もちろん、聞こえる範囲に限られるが、自分とは直接無関係の話も常に聴いて情報を集める。電通の鬼十則に「頭は常に全回転。八方に気を配って一分の隙もあってはならぬ。サーヴィスとはそのようなものだ」とある。現場で流れる会話は必ず無関係ではない。仕事人なら、どんなに小さな話し声も、必ず聞こえているべきであると思う。
 閑話休題。そんなわけで、現場監督が電話に出ても、その話し声も聞いているし、調子が良いと、電話口の相手の声すら聞こえることがあるくらいだから、その電話が彼の親御さんでないことも、彼が狂乱状態になるよりも早くに把握していたのである。
 わたしがそうやって声をかけると、なぜか彼は落ち着いた。事務の方が目を見開いていた。離れているものの、彼は現場監督の電話に喋る声を聞くと、電話の相手が自分の母親でないことも段々解ってきたらしく、泣き止むのも早かった。
            ◇
 過呼吸状態になって、呼吸困難に陥った。そんなこんなで1月がナントカ終わり、2月1日より入学試験が始まる。
 1日午前、1日午後、2日午前、2日午後と、計4、5回試験があった。
 1日の2回の結果は、不合格。
 時は、2月2日――。
 受験の応援を始め、講師や現場監督のいない教室は事務だけが留守番をしていたところ、彼の母親が現れた。見る者に不吉な気配を感じさせるようなただならぬ形相で、
「(現場監督)に話があります」
と言い残して、去っていった。誰もがクレームを警戒したが、一家の司令塔だけに、今後の対策を相談しに来たのだそう。他の私立校の受験を考慮するべきか。
 その後、2日午前の試験は芳しくない手ごたえらしかったものの、合格を勝ち得た。
            ◇
 彼は3月いっぱいで、退会する。
 6年もの付き合いがあったのだけに、思い入れが無いとはいえない。呼吸が合うこともあったし、何かが通じ合うときもあった。しかしながら、ラストの1年間を通して身についた彼のスタンスには、先行きの不穏さを感じざるを得ない。それでナントカならないか話しかけるも、もう通じ合うものが無くなってしまったように見える態度に、心が傷む。
 それでも。その実力は健在で、2桁の数字が10個並んでいるような長い式の計算問題もまったく苦にしない様子は、やはり中3生などとは別次元の頼もしさがある。
 好きなものがあると、それを優先して他のものなどそっちのけで没頭してしまうワガママさと集中力。執着したものには、自分が1番でないと気が済まないセンス――。
 結局、何1つも問題は解決しないまま、卒業を迎えてしまった感が強くて、微妙な気分であるものの、どこかホッとするものもあるから、我がことながら複雑な心境である。
 シコリのようなものが残るが、それと共に、彼の記憶は残っている。
 いつか、自らの弱点を克服して、再び会いに来てもらいたいと願うばかりの今日この頃である。
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 ずっとあなたが・・・ 9

 昨年は、わたしに向けて3件ほどクレームが、あった。
 どれも理不尽なものばかりで、わたしが悪いとはまったく思っていない。だが、それで仕事の信用を左右することがあるのだから、まったくおかしな話としか思えない。たかが子供のワガママで、日々を誰よりも必死に生きているような苦労人の大人が、生活の糧を失いかねないようなことになるのだから。
 「人を評価する」ということは、非常に難しいことと言えるのだろう。
 「難しい」とは、ちゃんとした裁定や評価を下せない者が多いからだということになる。しかしながら、判断をするために必要なセンス――「正確に見て」、「筋道立てて考えて」、「その行為の先を予測して」――といったものは、求められる最低限の常識ではないか。思慮分別とはそういうもので、そうしたセンスをもっている人間が、それほど多くないということになってくる。
 教育というものについて、ちゃんと考えている大人が少ないということである。現役学生時代の反省をシッカリ行う機会も無いまま、浮き世の習いに従って生きてきただけの親は、その子供にもちゃんとしたことを教えることが出来ないのであろう。
            ◇
 閑話休題。その3件のうちの1つは、中学受験生の親からだった。
 実は、中学受験を考えていた家庭は、4件あったのである。
 偏差値70の「冬彦さん」予備軍の少年。
 少女モナリザ。
 以前記事にした“カルマくん”。
 そして、それ以外の1人。小さなお嬢ちゃん。
 こちらも、以前に記事にしていたかもしれない。入塾当初から、よく懐いていた。
 小動物のようでかわいらしい。小6生とは思えないような反応と、外見をしている。
 平均学力よりも低いようだが、それでも素直で義務に対して忠実で、しかも一生懸命やる良い子でもある。
 この子の一言で、4人の大人が怒ることになったのだ。
 原因は「頭をなでる」ことについて、親御さんに言ったところ、その親御さんが激怒した。それで現場監督がわたしに怒り、わたしは「その両親を連れてこい!」と怒り返すことになった。
 この両親は、娘の頭を足蹴にする。この子は長女で、次女は障害児だった。この子は家の手伝いを始め、いわれたことをキチンとやる。そういうところからも、大人たちに「わたしはキチンとしています」と思われたいことも、よく解る。
 愛情を、欲しているのだ。
            ◇
 懐いていた頃、親御さんへの悪口をよく聴いた。子供の言葉を鵜呑みにしているわけではないけれど、それでも、彼女が家庭へ貢献している様子や親の不機嫌で理不尽な目に遭わされることも大体見当がついた。だから、好感を持ってくれて、理に適った応援の仕方をしてくれることを、非常に欲しているのだ。
 すると、甘えが出てくる。
 いや、デレデレとくっついてきたり何かを要求してきたりするわけではない。常に傍らにいて、しっかりやっている自分を見ていてもらいたいという欲が、強くなるのだろう。
 安らげるお気に入りの大人に、見守っていて欲しい。
 親に甘えられない子には、そうした存在が貴重なことは想像に難くない。
 問題だったのは、そうした欲望が、
「わたし“だけ”を見て!」
になってしまったことだろう。懐き方が尋常ではなかったから。
            ◇
 それで、担当する子供をすべて注意して見ている様子が、彼女から見れば非常に不興だったのだろう。半ば確信犯で、親に喋ったことも容易に想像がつく。わたしが受け持たなくなってから、それでも彼女は自習に来ていたが、その度に
「えっとぉ、1549年はー、」
などと大きな声で喋りながら勉強していた。捗っていない。計算も計算用紙ではなく、ホワイトボードに落書きの要領でやるし、周囲の人たちに「わたしは勉強してます」ということをアピールしているようにすら見えるような態度だった。
 誰かに構ってもらいたくて、仕方が無いのである。
 ヒトリゴトから察せられる「解らないところ」を教えてやることを、彼女は欲しているのではない。誰か大人についてもらいたいのだ。
 結局うだつが上がることは無く、9月の模試で学習障害のあるカルマくんと同じような得点しかとれず、受験志願を撤回して退塾していった。
             ◇
 “彼”は、先のお嬢ちゃんと同じような傾向が、出ていた。
 彼は機嫌が良いと、鼻歌が出る。
 だが、12月頃から、その鼻歌を結構しっかり歌っているのを自習室でよく観察された。
 子供の甲高い声で、はっきり歌っている。妙な気味の悪さがある。
 授業中で歌うこともあった。
 それは、同じ授業中で他の子供の解説に当たっているときだ。
 事務の方いわく、わたしがいないときもよく歌っているとのこと。
 5分待つことが、出来ないのだ。他を見に行くと、5分弱で歌い始める。
 授業妨害も良いトコロである。それで、わたしはといえば、ノイローゼ気味になった。彼が歌うことで気を削がれる。他でちゃんとしたことがやれなくなる。他に行っても、彼の行動を意識してなければならなくなるからだ。
 それだけではない。
「ぶぶむううぅぅぅ――!! ぶぶむううぅぅ――!!」
 自習室から、唸り声が聞こえる。
 わたしが授業をやっていて、彼が自習室にいるときだ。その彼にその日授業が無いときに、こうした力んで滲み出したような声を上げる。
 強制させられて、勉強がイヤでイヤで仕方が無いのだ。
 家にいても「塾で勉強してきなさい」といわれるから、塾に来る。しかし、塾で携帯機器をイジって注意されると、勉強するふりをして寝ているか、こうした唸り声をあげているか、歌っているかである。親はこうした息子の様子を知らないのだ。家でも口うるさく「勉強しろ!」と言われてはいない。ただ、「勉強しておいで」と言われて、おかあさんの前で良いカッコしなければならないから、塾に来てワガママめいた態度をとっているのだ。

 ずっとあなたが・・・ 8

 「見限った」といっても、授業を受け持たないとか、現実的な対応としては何も変えていない。授業はやるし、自習中の様子も見るし、雑談にも付き合う。ただ、母親が決めた第1志望校――この県でもっとも有名なマンモス私立校――には、このまま適当に行ってしまっても受かるであろうという見込みはあった。
 彼の好きなようにやらせて、わたしは見守るだけ、という役割にする。どうも、彼に対して、わたしは口うるさく叱るべきではない気がしたからだ。やんわりと忠告はしても、くどくど言ってはいけない。わたしが怒っても、逆効果になるだけだと思ったわけである。
            ◇
 いや、正確には、彼がこんなどうしようもない輩になり下がってから、怒る機会はあって、怒ってみたのだ。
 勉強をしないことが理由ではない。大人に挨拶の言葉をかけられて、普通に無視して通り過ぎるような中学受験生になっていったからだ。塾に来て、事務の方や現場監督が「いらっしゃいませ」に代わる「こんにちはー!」という挨拶に対して、そのまま無反応な様子が、我慢ならなかった。
 普段から礼儀作法は結構説いてきたのだが、機嫌が悪ければ「ぼくは機嫌が最悪なんだ!」と言わんばかりに不貞腐れた顔をして、挨拶を返さない。尚、説法めいた話はよくやるし、わたしに懐く子供はこうした話を好んで聴く。「なるほど」と思って目を輝かせる。彼もそうした子供の1人だった。親に注意されない「品位」についての話や「相手にどう見せるか」の話などで、悪い例をさりげなく語っていたのだが、それは紛れも無い、彼自身の悪癖だったのだ。読解力が半端でない彼のことだ、解っているに違いないし、自分のことを注意されていることに気が付かなくても、「それは善くない」と感想を口にしていた。言われたら、その言葉が「聞こえている」ではなく、ちゃんと理解できるだけの能力値も充分にある。「その場でその行動を改める」ということが出来るような切れ者ではあったのだ。少なくとも、今までのわたしについてきた子供たちは、みんな解っていたし、キチンとした姿勢や態度をとることができていた。それも猫を被るカタチではなかった。彼は、彼らよりも勉強面での能力値はずーっと高い。難しい道徳の話をしても、自分の言葉で言い換えて要点を喋るくらいの理解力があるのだから、納得して実践できるものだと思っていた。
            ◇
 だが、こればかりは見込み違いだった。お行儀の悪さについて、彼はそれが「わかっていてやっている」というわけではなかったのだ。
 「そのアクションがよろしくないことを理解した上で敢えてやる」というのは、例えば、教え子その④――県下最高の公立高校に合格した――やその②なんかは、すべて解った上で、イタズラをする。「規則を解っているから原則として守るけれども、オモシロイかもしれない機会が巡ってくると、そのときだけ敢えてルール違反をやってのける」、ちょうどハリー・ポッターみたいなセンスであった。そして、それが解っているから、わたしも敢えて見ていないフリをする。その上でオドケた会話を交わすことも少なくなかった。ちなみに他は、「それがルール違反だからやらない」という常識人な子たちである。
            ◇
 挨拶を無視する。
 授業には手ぶらでくる(なぜか少なめにゴミが入った鞄は持ってくる)。
 授業中にちょっと疲れれば、そのまま休む。
 こうした態度がある度に「何やってるんだ!」とばっちり叱れなかったのは、当時の現場監督が「成績がよろしければ何やってもイイ」という姿勢で、事実、当時在籍していた慶応高校の学生2人に対して「PCで動画を見ていてもキミたちなら俺は怒らない」と本人たちに豪語してしまうくらい。ワルイコトしたければ、良い成績をとってこいと言わんばかりの言動だったのだ。
 以前の記事にも書いたかもしれない。常日頃からモラルや品性について、子供に説いているわたしが見て、当時の現場監督は、その欠片も感じなかった。だから、わたしの説法は現場監督にとってはイヤミに聞こえたに違いないし、実際、気に入った学生講師とそうでない講師の扱い方の不平等は顕著だった。現場監督は自分と気の合う中学生には成績が上がればご褒美をポケットマネーで買い与えるなどもしており、公正とはいえない輩だったから、わたしが彼(=本件の中学受験生)を含めて、悪い態度をとる子供たちを注意したり叱ったりしていても同調することはまったく無いし、自分はそうしたマナーについて、キチンとその都度子供に注意することをしないのだから、弾圧と迫害をもらっているわたしの立場からすれば、余計な軋轢は避けるようになる。
            ◇
 ゆえに、そうした行動(授業なのに何も持ってこない、挨拶をしないなど)が悪いことは彼にやんわりと指摘するにとどまっていたのであった。毎回「はい」といっていたが、それが「解っているが敢えて守らない」というような、単なる甘えではなかったのだ。善くないことについて、完全に焼き付いていないだけだったのだ。そうした行動は彼にとって日常であり、「テキストも筆記具も持ってこないことが、ダメなことだ」という意識が絶対的に欠けていたのだ。
 学校には、持っていく。だから、テキストも筆記具も持ってこないことが「善いとは言えないこと」くらいの認識はあるのだ。それと関連して、説いて聴かせて3回連続忘れてきて、わたしは遂に怒ることになった。
 正確には、「筆記具を忘れて、事務に借りに行ったものの、貸してもらって何のリアクションも無く、しかも借りたものを使いっ放しにする」という行動が3度連続であったから、穏やかに説いて聴かせても解っていないことが解り、「今の行動は、あなたの現状に於いて、正しい行動か?」と怒り音を立てたわけである。
            ◇
 すると、それから1週間くらいは、直った。
 返事をするにしても、挨拶をするにしても、電撃に触れたようにビシッとなって「はいっ」やる。不自然な様子だった。怒られることを、恐れているのだろう。その時の目は、何も解っていない子供の目だった。今まで話を聴いてきた時の「素直な輝きを帯びた目」ではないのだ。真ん丸く見開いており、頭を遣っていない目をしていた。
 これが、不愉快だった。
 考えないでとりあえず言うコトを聞けば怒られないという、浅はかな知恵をつけた幼稚園児の目だ。
            ◇
 こういう目をするようになったから、もう心から通じ合うようなことは、無くなったような気がしたのである。
 以後、中学に向けての助言をしても、こんな目で「はいっ」と聞く。どこまで解って聴いているのかはわからないが、少なくとも、以前のように自然に理解できたことが判る、素直さのある目ではない。何かで分厚く覆ってしまったような目だ。
 何か助けになるようなことを説いても、もう彼の心に響くことは無くなってしまった。
 これは、非常に、悲しいことだった。
 何も知らない幼児になって、「ぼくはよいこです。いわれたことはちゃんとやりまーす」みたいなことにしまっている。“みにくいあひるの子”ではない、不格好なタラちゃんである。「そうしなければならないこと」について、なにか考えて理解したものがある眼差しをしなくなったのだ。感情や考えの萌芽めいたものをすべて塗り潰した目だ。
            ◇
 心を閉じた、という表現が、しっくりくる。
 ただし、見放されたくないという強い執着も感じられる。
 自分の意志がカタチになっていくような年頃なのに、その萌芽が、無くなった。甘やかされて育ってきたのか、元々精神的に幼かったが、その聡明さは、紙の上の勉強以外の面で発揮されなかったのだ。庇護欲の塊になってしまったのだ。
 こんな子について、どう対応したら最良か、解らなかった。
 それなればこそ、それに適した対応をするべきだし、そうすることで彼にはマイナスにはならないし、わたしも無駄な体力と気遣いをしなくても済む。何を言ってもしてやってももう聴くことは無くなったし、母親べったりでその母親も社会的に必要なことを教えていないわけで、この状態を打開できることが、受験までの2か月では絶望的だと判断した。
 彼は明らかに、幼児退行していたのである。

 ずっとあなたが・・・ 7

 時は、11月――。
 その少年を、わたしは心の底から見限ったのであった。
            ◇
 母親に目標校の受験を制止され、すっかり悄気てしまって数か月が過ぎた。
 授業にこそ出てくるものの、ずっと拗ねており結局12月を過ぎても、話は聞かない、指示に従わない、時間が来ても席を退かない、自習時間はずっと携帯機器をイジっているなどの困った態度をとり続けていた。
「教室1デキる子が、今や教室1の困った子になってしまった」
 現場監督の思惑は、小6生の1年間で公立中高一貫校向けのテキストが4冊終わる算段、だったようだ。
            ◇
 彼が知識を詰め始めたのは小4生の頃――ちょうど、この現場監督が赴任してきたときからである。わたしにべったりの彼を見て現場監督は、中学受験生向けのテキストを先んじて購入させ、自習の日を決めさせたのである。こうして自習に来ることになるのだが、それで自力でテキストを進め、わからないところは質問し、解けなかった問題は解き直しをして――勉強という作業ができる子供は、高校生を含めてもそうはいないのだ。少なくとも10年のキャリアを持つこの現場監督が見て来た中でも、彼の自習のセンスはズバ抜けているという。「独力で塾に来て完成度の高い自習」をやってのけた小学生は彼を含めても2人しか見たことが無いという。いわく「100人に1人の逸材」だそうな。知識への執着心が強く、ゲームをやる要領でどんどん知識を身につけていったのだ。
 小4生から小5生の終わる頃まで――母親に志望校受験を制止されるまでの間を、彼の高度成長期といえるだろう。
 わたし1人なら、彼がこれほどまで実力を高めることは無かった。
 また、わたしがいなければ、これほどまで現場監督が期待するようなデキになることも無かったであろう。
 彼は甘える場所があるから、「ピシッとやる場所」をつくることができたのである。
            ◇
 時は、11月。
 模試の成績が落ち始めて3か月が経っていた。それでも偏差値は、60の真ん中で止まりを見せていた。「知識を詰め込んだ」ということは、それだけで免罪符になるらしい。
 国語の答案を見ると、「40字以内で~」などの記述問題は、すべて空白である。小6生の最初の模試のときまでは、必ず何かしら書いていた。もう今はやる気が無く、幼い彼だからこそ考える気も起きず、乗らない気分で考えてもまったく解らないようだ。
 困ったのは、この点なのである。
 今までの説明で解っていたものが、解らなくなっていった。やる気も好奇心も無くなり、「勉強しろ」と強制されるようになって嫌気が差していった結果、考える気も無くなってしまったのだと、わたしは見ている。頭は非常に良いその代わりに、性格的には非常に幼いのだ。精神的なものの構造はひどく単調なのだ。
 例えば物凄く怒っても、オモシロイモノを見かけるとすぐに機嫌が直ってしまう。実に簡単に機嫌が大きく変わる。赤ちゃんを始め、幼稚園生くらいの子供を髣髴とさせるような場面が、多いのだ。
「じれったくて、肚が立つんだよ。なんでアレでわかんねーんだよ?」
 現場監督は生徒がいないときに、声を荒げた。彼の授業をもってみたところ、物分かりが悪くて、全然授業にならなかったらしい。一生懸命考えているが鈍いし、全然冴えない。歴戦の塾講師である現場監督の「偏差値70をキープできた子」のステレオタイプに、まったくそぐわない子供だったのだ。
 調子が良ければ、ちょっとヒントを与えただけでもう勝手にどんどん進めて行ってしまえるだけのチカラを持っていることは、紛れも無い事実なのだ。但し、気が乗らなければ、本当に「ただの子供」になってしまう。それも、12歳(小6生)ではなく10歳程度の幼児である。
            ◇
 国語は偏差値68をうろうろしている。
 算数の偏差値が、伸び悩んだ。55程度になっている。
 社会の偏差値は70を超えている。これのみ教室中で1、2位を争う実力で変わらない。
 理科がひどく落ちた。偏差値は60後半あったものが60を割り続けている。
 考えようとしなくなったから、
 小手先だけでパパパッとやろうとするから、
 論理能力で解法を追いかける必要のあるものが、極端に落ちて行った。
 尚、今年は2番手の中学受験生が、いた。彼女は小5生時代は偏差値50だった。彼との差は20も開きがあった。
 彼女――この連載の次の対象「少女モナリザ」――は、わたしの担当ではなかったが、担当者が休みの際に、代打で受け持ったことがあって、その落ち着いた佇まいと物言いに、驚かされた。
「彼女は、彼を脅かす存在になりますよ」
 その代理の授業の後に、現場監督とその右腕に喋ったところ、笑われてしまった。
 現場監督の経験からしてみれば、小学生の脳の偏差値20の差は、たった1年で埋められるわけがないと言わんばかりだった。 もちろん、現場監督はこのときも小6生の間の彼の成長の期待値を計算した結果だったのだろう。
 だが、わたしの予言はハズれなかった。
 少女モナリザ――。
 彼女は、国語の偏差値が65。苦手な算数の偏差値が55に上がる。社会の偏差値はそれでも60弱だったが、理科で58になっていた。私立校向けの模試では依然として彼がリードしていたものの、かなり差を縮めた。
 しかし。11月と12月の公立中高一貫校用の模試の結果は、彼の成績を大きく上回ってしまったのである。
            ◇
 解説。
 中学受験でも近頃は
 ・ 公立校&国立校
 ・ 私立校
の2種類に分かれている。元来の中学受験では「私立中学」が殆どであり、私立校の合格者は中学高校の6年間を過ごすのが、相変わらずメジャーである。但し、学費は公立校や国立校の比ではない。
 国立校とは、国立大学の教育学部の附属というカタチである。つまり、教育学の実験農場である。東京大学附属の中学校などでは「双子限定」などの条件がかかるところもあるという。中学高校の一貫校もあるものの、我らが県の国立中学校は併設高校が無く、中学受験をやっても、高校受験をせねばならないことになる。学費は義務教育と大差は無い。
 公立校――県や市が運営する学校である。中学受験をせずに地元の中学校に進学する場合は、大抵「市立」であろう。なんといっても、「公立中高一貫校」の登場である。公立校であって安い学費でありながら、私立校のような中高6年の計画性一貫教育を受けられることが、近年では話題を集めている。当然ながら、競争率はべらぼうに高い。試験問題も私立校の型とは、まったく異なる形式なのだ。「試験」ではなく「適性検査」と表示をしている。だからこそ、公立校受験であれば、それにマッチした対策が必要になる。
 塾会社各社は、公立中高一貫校の合格をどうやったら出せるか、必死になっている。
 公立校志願者とは安い学費が狙いだから、通塾させてもあまり高い授業料を出したがらない傾向があり、対策講座を開設するにしても制限が多くかかってしまうらしい。試験問題は、私立中学のような「見覚えのあるオーソドックスな問題」ではなく、必ず初見問題になるように、毎度ながら独特のものを出してくる。それも長大な文章で状況を説き、その条件に合った回答をさせることを狙っている。だから、同じ頭が良いでも、「知識」ではなく、「柔軟な対応」ができるものが、勝ちやすいと思う。作文による主張や感性などもチェックされるので、状況対応力は必要なセンスであろう。
            ◇
 わたしは彼を、見限った。
 どんなに世話を焼いてあげても、もうこれ以上の成長は望めないことを悟ったからだ。成績がこれ以下にならないことがわかった以上、わたしがチカラを注ぐ対象は、他に移すべきだと考えたからだ。
 これからは、彼の「甘え」による授業妨害をどう抑えていくかが、彼女――モナリザを志望校合格に近づけることになっていくのである。
 それから、あの歯を食いしばって上げる奇声………
「ぶぶむううぅぅぅ――ぅぅぅ!! ぶぶむううぅぅ――ぅぅぅ!!」
を頻繁に聞くようになるのである。

 ずっとあなたが・・・ 6

 学生とは未成年であり、親の保護下で生きるもの。
 だからこそ学生の受験とは、その保護者の意向が多少なりとも含まれている。
 但し、大学受験は殆ど完全に、その学生本人の意思だけで、受験先が決まる場合が多い。
 また、高校受験は、対象の学生本人がその先のことについて無知に近い状態であっても、内申点という制限があるために、ほとんど自動的に受験先が決まる。しかしながら、トップ校の受験資格を確実にしたいならば、内申点を稼ぐ必要があるため、家庭の教育がモノを言う。学生としての姿勢についてどれだけ完成度があるかを証明するものが、内申点だ。つまり、家庭での教育の完成度と本人の意思が、その受験先を決定する。
 上記2つの受験での受験先の選択は、学生本人の意志が少なからず反映されている。
 また、高校進学は「親の希望50%、学生本人の希望50%」として仮定すると、大学進学は、「親の希望<学生本人の希望」となる場合が多数派な気さえします。
            ◇
 しかしながら中学受験は、「学生本人の意志」や「学生本人の希望」の割合が、上記2つの受験に比べて、低いと思われる。それは12歳に過ぎない子供だけで中学受験実行の決定をすることは、ほぼあり得ないと言えるからだ。当人が中学受験を希望したとしても、大人の説得で諦めさせることは簡単であることも、理由になる。
 つまり、「親の希望>学生本人の希望」となっている場合が多数派だと思っても疑いようがないのだ。加えて、受験先も親や塾の先生によって決められてしまうことも少なくない。そこに学生本人の希望は非常に少ないのだ。
            ◇
 わたしは中学受験経験者ではあるものの、そこにわたしの意思など無く、親の意向で中学受験をさせられたクチである。詳細はテーマではないので省略するが、理不尽極まりない世界で、ヒドイ目に遭わされて苦痛だったことは、今でも忘れていない。塾の先生も親も憎んですらいるくらいである。無感覚を持っているから耐えられたものだが、当時のわたしの口癖は「受験はぼくの希望ではない」だった。もっとも、誰に言ってもその言葉に滲む苦しみなど、誰にも理解されなかったけれども。
            ◇
 現役時代のわたしは自覚が無かったけれども、「ちゃんと話を聞いてくれて、どう対応したら良いか、どんな心持ちでいれば良いかなどを、説いてくれる大人の存在」が欲しかった。親の仕打ちが理不尽極まりないことを子供ながらに解っていて、それで異常な苦しみを与えられたのだから、どう行動したら良いかを説いてくれる頼りになるアドヴァイザーがいれば良かったと、今になって思うのである。
 だからわたしは、慶應中学の夢を断たれた彼に、どう対応したら良いか。どんな心持ちでこれからを過ごせばよいかを、理に適ったカタチで説いたのだ。難しいかもしれない話だが、国語の偏差値70を苦も無くとれる子だけに、ちゃんと理解できた。
 だから、泣きそうな表情でも、頼もしい表情に戻すことができたのだ。
            ◇
 後は、前述の通りである。
 彼はその説得でも1日しか保たなかった。
 これは、わたしが語った内容を、すぐさま例の母親に語り、母親は自分の意向に合わなければ、その度に批判していたのだろう。「それはおかしいんじゃないの?」と言うような口ぶりで、わたしの話を彼の口から聞いて反応していたこともあるらしい。その話を、彼本人の口から1度聞いた。「わたしが慶應中学の受験をすべきだ」という応援をしたことへの母親の「それはおかしいんじゃないの?」のコメントを彼の口から聞いたものだが、全然理に適っていないのだ。確か、慶應中学に進学できてもその先が云々、内部進学では大学の学部選択も云々と、根拠になっていない。もちろん、わたしはそれを指摘して、彼に説く。
(偏差値70は無理だと仰った母親だったが、実際に偏差値70を取り続けたではないか!)
 これは推測だが、問題だったのは、彼も母親の言葉が矛盾していることに気が付いていたことだ。わたしがかみ砕いて説明しなくても、彼は矛盾に気が付いていたと思えるのだ。
 だが、彼は甘えている対象である母親が嫌っているのに、反対意見を言うことはできないのだろう。彼はわがままだが、彼がわがままを引っ込める唯一の対象ともいえるのが、母親なのだ。だから、その分をわたしに甘えに来るのだ。授業になっているかが、彼には問題ではなく、わたしに会って話を聞いてもらうか宥めてもらうかなど――つまり普段甘えている母親で甘えられなかった分を少しでも取り戻す目的で、彼はわたしを必要としていたのである。
            ◇
 彼は、母親と対立することになったわたしを両天秤にかけて、その結果、母親をとったのである。
 当然といえば当然だが、これは「どっちを助けるか」の究極の選択ではない。
 わたし選択したところで、家族が崩壊するわけではない。わたしの考えを採っていれば、慶應中学に行かなくとも、彼は大人へと成長する方向に進むことになり、母親への甘えから独立する1歩を踏み出すことができたハズだ。
 彼は、自分の希望を蹴ることで、もっとも確実に甘えられる結果となる選択肢を、採ったことになる。
 時は、11月――。
 その少年を、わたしは心の底から見限ったのであった。