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ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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 わずかの望み

「あなたにあるものは、あなたの自由にならないものに対する無条件の賛美と渇仰だよ。だから、わたしはフォローのしようがない」
「僕はきみに心の底から惚れているといったが、本当にそれだけさ」
「それが何だっていうの」
「気持ちなんか変えようがないものさ。僕のようなものがきれいサッパリ諦めると宣言したって、信じられるとは思わないでしょう。僕は無理に気持ちを変えることはしない、静かに憧れをもちつづける。ただ、渇仰の果てに、きみの奴隷になることは絶対に無いと言っているんだ」
「少しだけ、安心したよ」
「なんで」
「それくらい考えて見通しているのなら、友達として新しくやっていける気がしたよ。わたしに対する想いの強さがあるのに積極的な行動をとるつもりがなくて、しかも、わたしの犬にならないのなら、お互いが適度な距離を保つことはできるでしょ?」
「おもしろい発想だ。異論は無い。距離を保つことを、誓おう。だが、きみはくれぐれも油断をしないことだ。きみが隙を見せたら、僕はすぐにでもきみを手籠めにするだろうから」
「イイ友達でいられるかは、わたし次第ってコトね。上等じゃない」
「…………ありがとう」
          ◇◇◇
 愛せる相手でなければ、あり得ない。俺の身体にあの2人の血が流れていることが赦せないから。
 おはようございます。
 “草食男子”が多くなったと耳にするようになって、しばらく経つ。そもそも、草食系とは、性欲が極端に低いことを指すという。なぜ、こんな男性が増えたのか。
 性欲が高くないということは、子孫を残すといった本能が強くないといえる。恐らく、これは生命力の低下を示すのではないか、と思うのだ。
 医学の進歩によって、本来なら死ぬ筈の個体が生き残る機会が増えているという。自然淘汰されるべき個性が、生存する確率が上がっているということだ。こうした弱い個体とは、生命力が低いから、生き残れないようになっていた。
 子孫を残すまでもなく、自然では生き残れないような弱い個体が多く生存するようになったから、割合として、日本人全体の生命力の平均が下がっているということなのではないか、と考える。
「無駄な人間はいない」
 そういって、適材適所という言葉のように、すべての人間には何らかの役割があると、かつては説かれていた。もしかしたら、そんな時代はもう、終わっているのかも知れない。
 人間が多くなりすぎて、世間が複雑になり過ぎたから、一般的な人生のルートからの“落ちこぼれ”への受け皿が見つかりにくくなった。
 つがいになるような相手がいない者とは、ひょっとしたら、不器量になる遺伝子だけの問題ではないのかも知れない。医学の進歩によって、運命の不仕合せが大量にもたらされるようになってきたと考えられなくはないか。
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 所作1つ1つが品性の表現

「ジーンズのお尻に、下着のラインが浮き出ていないでしょ」
「……まさか、ノーパン!?」
「大きな声でいわないの」
「ホント? ホントに、その、ノーパン……………?」
「下着を穿かないで直接ジーンズに脚を通すのって、クールでしょ」
「おれ、ドキドキしてきた…………!! ああ、ノーパンだったなんて…………!!」
「そんなわけないでしょ、ばか」
「なぜ………?」
「肌がよわいのよ。こすれてしまったら、たいへん」
「ど、どこが……?」
「さっきから、あなたがちらちら見ているところよ」
「触ってみてもイイですか?!」
「――そこまで露骨だと、さすがに嫌だわ。お下品」
「それにしても。最近のおれは、ひとを愛おしいと思ってばかりいる」
「わたしの胸を見ながら、よくいうわよ」
「ノースリーヴで腋が見えただけだよ。目の遣り場に困る季節だ」
          ◇◇◇
 食事は自分の好みに合わせ、服装は社会の好みに合わせよ。
 おはようございます。
 お店にお客として入るときに、注意していることがいくつかある。
 “お客様”として来客をありがたがるのが基本的な接客姿勢だが、客の方も行儀は最低限弁えるべきである。客1人1人が己の振る舞いを意識することで、そのお店の格が保たれる。逆に、客を選ばない店は衰退する。
 例えば、いわゆるクレームをいうとき。クレームはお店をよくするためのヒントになる情報として扱われることを意識する。無礼にならないように、攻撃的にならないように、細心の注意をはらう。責任者あてで意見をし、彼が不在のときは伝えるように説く。
 客は「金払いが良い」だけでは、ダンディではない。
            ◇
 先日、或るお店にてお世話になった方との会話で「まだ、あのお店に通っていますか」と訊かれた。迂闊だった。答えに窮した。心苦しくも、わたしはそのお店に通うことが無くなっていたのである。10年くらい通っていたお店であったが、或る時期からオカシナコトが増えた。結果として怒りを感じる機会が年ごとに増えていき、自分がそのお店の一般客のカタチに合っていないと思うようになったためである。
 かの方のように、ステキなスタッフを見掛けることがある。
 近頃は、靴屋でもパン屋でも店屋に入ると、気に入る対応をしてくれるスタッフがいると、必ず褒めるようにしている。一見の客ばかりに対応する姿勢が一般化しつつある世間で、こうした言葉をかける客は珍しいらしく、キチンとしたことをする従業員には励みになるものだからだ。

 厨でのノスタルジィ

「あの人はね、嫌悪感を隠すのに苦労しているから、気疲れするんだよ。だから年齢のわりに白髪が多いのさ」
「そういうあなたは、わりあい正直だよね。首を左右に振るしさ。ただ、禁止したり拒絶したりするアクションなんだけど、黙って受け容れてるよね。あなたみたいな男性が、上司とか旦那だったらいいなーって思うわよ、わたしは」
「ぼくたちはいつも、笑顔を見せる。ただ、笑顔ってのは、さみしい」
「そんなことをいいながら笑顔で箸を置くの、ちょっとコワいわよ」
「きみが僕につくってくれた手料理、うれしかったよ」
「……お世辞でもいいから、ホメなさい」
「僕は結構きみを好きだよ?」
「ほとんど料理に手を着けてないじゃない……!」
「1口いただいたけれど――。それでも僕は、きみを嫌いにはなれないよ!」
          ◇◇◇
 やはり、食事はひとりでするものではない。
 おはようございます。
 或る時、手製のカレーライスを無性に食べたくなることがある。
 最終電車で帰宅して、やっているテレヴィは深夜アニメーション。1時間弱しか無い調理時間で、カレーライスをつくれるか。
 玉葱は30分ほど揚げるようにローストしていると、甘みが強くなるという。しかしながら、そんな時間は無い。具材は豚バラ肉と林檎にしぼる。あれば、南瓜のスライスと茄子を追加する。南瓜は馬鈴薯の代わり、茄子は味が濃くなりすぎないように調えるため。南瓜と茄子を魚焼き用のロースターで火を通す。その間に、リンゴをすりおろして鍋に煮詰める。水分を飛ばしてジャムもどきをつくる。これが玉葱の代用である。水を飛ばしている間に、フライパンでは豚バラ肉を炒める。
 ローストした南瓜の余りは餡にし、冷蔵庫へ。ジャムも必要な分だけ残しておく。翌朝は薄く焼いたホットケーキに、南瓜の餡と林檎ジャムをホイップクリームと挟んでサンドウィッチで食事とする。
 加水した鍋に、材料を煮込む。カレールウは、辛めを用意する。消火してルウを溶かしたら、10分ないし15分煮込んで完成となる。合計、40分でした。
 もちろん、煮込んでいる10分の間には、使った器材を洗うなど片づけをして、白飯とヨーグルトのスタンバイをする。
 玉葱も馬鈴薯も人参も入っていないが、カレーではあります。乱暴ですが、1時間かけずにやっていました。
 料理のうまい奥さんがいて、向かい合って落ち着いた声であれこれ会話しながら、ゆったりと食事をする。そんな妄想を働かせていると、今までの食事が殺伐としていることに気がつく。いや、そもそも、食事でリラックスできるなど、夢想だにしなかった。
 料理のうまい女性は、ダンナの浮気を或る程度防げると聞く。ダンナが外食して帰ることが少なくなり、“機会”を減らせるからだという。はてさて、どうなんでしょ。

 或る無頼者のおぼえ書き

「ねぇ、今でも私を好いてくれているの……?」
「なぜ、そんなことを訊く」
「私って、イヤな女? 思い上がってイイ気になってるバカな女??」
「ったく、こんなことをこの歳でいわせんじゃねぇよ。いいか。多少のバカがなければ、信用できない。バカっぽさがなければ、愛せない。バカでなければ、相手を愛してやることなんかできやしない。もう2度と言わねぇからな!」
「……ごめんなさい」
「なぜ、謝る」
「あなたはきっと、ずっと独りでいるつもりでしょ」
「………………………………そんなことは、」
「わたしはあなたに嘘をついてしまったけれど、あなたはわたしを裏切れない」
「俺ももう若くねぇからな、おまえに出会わなかったらよかったなどとはいわねぇぞ」
「でも、若い羞恥心を棄てきれていないでしょ。さっきの荒っぽい言いかたは照れ隠しだよね。直観しちゃったよ、わたしへの気持ち」
「おまえは確実に、歳をとった。恥ずかしさが無くなったから、あんな質問ができるんだ」
「切ないよ! あなたはひどく、切ない!」
「もう行けよ。俺をそれ以上、無様なヤツにしないでくれよ」
          ◇◇◇
 神さまはそのメモ帳に、俺の名前を書きそびれたのさ。
 おはようございます。
 駆け足のような快感とともに、切なさがついて回る。その後には怒りにも似た感情が、湧きあがる――。孤独の果てに、他人を求め続けた末に得る快感というものは、ほとんど同時に切なさを感じるもの。結局、人間の性には、動物の本能的なものの他に、自らの孤独をナントカ解消しようとすること、他人とのつながりをもとうと足掻くことが含まれるのではなかろうか。
 「孤独に負ける」という言葉を聞いた。孤独のつらさに耐えられず、嘲笑されても、他人と手をつなごうと努力することか。それとも、孤独であることを受け入れ、ひとりでいつづけることか。うまく描き分けることができれば、おもしろいテーマかも知れない。
            ◇
 直感と直観。日常生活の中で注意して見ていると、この2種類の言葉を使い分けている人が、稀にいる。個人的には、なんらかの問題の解決の糸口になるのが直感で、競争に勝ち抜くために必須の能力が直観だと思っている。直観の方は優れた者でないと、恐るべき短絡と見分けがつかないものの、本物は超能力めいていて恐ろしい。
 直感をヒントにすることを子供に身につけさせることは、できた。
 直観を可能にするセンスは、どうすれば鍛えられるか。これがひどく難しい。
            ◇
 書いていないと、記事をつくる考え方を忘れるらしい。まいったまいった。
 やらなければならないことはいくつもあるのに、どれも中途半端なままだ。いや、頭がちっとも働かず、ただジタバタするばかりの日々。泳がなければ窒息するマグロのように、書かなければ、途端に苦しくなる。
 だが、この切迫した情況にこそ、生の緊張とそれにより集約されたエナジーの発露があるのかも知れない。
 それは、性行為で頂点を極めた時に感じる快楽に似ているに違いない。
 だから、この情況を楽しもうと思う今日この頃である。せつないなあ。

 青春は若者だけのものではない

「………まぁ。学歴だけがすべてではないからな」
「それ、あんたがしみじみいってると、自分を慰めているみたいに聞こえるよ?」
「自分を慰める、か。イヤな響きだ」
「ホント、嫌らしいわよ。オトコはいつも、女に一方的な幻想をもってる。実はオトコどもは、女なんか愛してないんじゃないかしら、女を使った1人エッチしてるに過ぎないんじゃないかしらって、疑いたくなるわ」
「リアルのオンナではなく、そのオンナに自分が抱いている幻想を愛している、か。そんなことは、」
「うんうん」
「――あるかも」
「………そこは全力で否定するべきなんじゃないかしら。話の流れ的に」
「いや、男ってさ。高額なブランド品で着飾るのと同じで、レヴェルの高いオンナを連れて歩くことで、自分のステイタスを示しているところがあるんだよ」
「それは、女だって――」
「そう。リアルを知っちゃったら、幻滅するのは男も女も、お互いさまなんだと思うよ。リアルで接し合うだけだったら、きっと男も女も、抱き合うことはなくなると思う。どこかで妥協するのが、普通なんだと思うよ。好きなオトコがいても、彼に甲斐性が無くて、その後の暮らしに不安を覚えるのなら、妥協は容易いのでしょう?」
          ◇◇◇
 愛しあって一緒になにかをする、なんていうことのほうがよほど危険な幻想よ。
 こんばんは。
 すごい美人を連れて歩くことで自らを誇示する男を見ると、百貨店のおもちゃ売り場で駄々をこねる子供を、なんとなく髣髴とさせる。おもちゃを欲しがる子供と、心理的にはなんら変わらないのではないか。
 「子ども心を残した大人のオトコがイイ感じだ」と聞くようになって、随分経ちます。
(この“子ども心”がなにを指すのかは議論の余地がありそうですが)
 “大人”としての自分のカタチが固まってしまった人間――組織の一員としての自覚を以て振る舞う人、理科系的でハードなリアリストなど――には、青春とは感傷の対象なのかも知れないと、確かに思うことがあります。
 一方で、なまなましい現実に激しく体当たりするような生き方を常に選択しつづける者の心は、いつも若い情熱が滾っている。青春とは単に、若者世代或いはその時期の特定のイヴェントを指すものではないと、個人的には捉えたい。「若づくり」ではなく、「若々しいソウルの存在」である。経験不足や性格の青臭さなどではなく、あくまでエネルギーとかエネルギー源のことである。
 割合的には計り知れないけれども、この若さこそが世界を動かすパワーなのだと、言い切る人をよく見かけます。そういわれて思いめぐらすと、明治維新だって30代の人間ばかりだった気がします。
 ただ、立場というものが固まってくるから、年齢とともに、この若いエネルギーを増幅させるのは難しくなるように見える。
 きっと、「大人になる」というのは、なんらかの大きな諦念を受けいれるという意味も含まれる。極端なことを申せば、輝ける表舞台から降板することにつながってくる。
 いや、考え過ぎか。
 書斎でホコリをかぶっているインテリと、書斎の置物インテリア。「若々しさ」は、「苦々しさ」につながってくるところだってあるのだ。
 ともかく、自信の無い大人にはならないように、加齢とともに完成していく青春について、よく意識して立ち回っていきたいと思う常日頃です。