ローリン・ダイニング!!

Rowlin’Dining! すべての作品は、新作の材料だ!
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 休載に関わる近況

 仕事が、尽きない。
 それもこれも、仕事の結果が良いのもある。今や、テストとあらば、ほぼ確実に武勇伝が残ることになっている。
 お客が後を絶たないのは良いことなのだろうが、以前とは違うものは、仕事の腕だけではない。
 客の質が、明らかに変わってきている。
 この仕事は、ひょっとしたら、今年度が最後になるかもしれない。
            ◇
 現在、毎日製作活動を続けています。
 毎日1時間程度しか時間が取れないものの、どんなに忙しくても必ず着手するようにしています。
 数年ぶりの本腰です。
 長編小説をつくることはできるのか。
 この仕事で鍛えられた頭で、今までに積んできた知識を見直します。すると、今までに無かった考え方でプロットを立てることから始まり、今までの製作行動では考えが及ばなかったものが、易々と見えてきました。本文の下書き前で見えてくる物語全体のイメージが、以前の比にならないくらいに見えている気がするのです。今までに無かったアプローチの仕方や工夫が、次々と出てきています。
 まだ、コマメに更新できない日々が続きます。以上、生存報告でした。
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 未完の師弟、或いは 11

 思わぬ事故――。
 彼女がわたし主宰の年末年始の勉強会に参加しなかったことも、事故と言えば事故ではあるが、もっと別の問題が起きたのである。
 1月。
 先立って行われる、地方の私立校の県外入試を模試代わりに受けることで、リハーサルを行う。大人と比べて、小学生は緊張などの影響は大きいと考えられている。そのため模試などにより、「見知らぬ場所で見たことの無い人間たちに囲まれて試験を受ける」という訓練は欠かさずやっておくことも、小さくない要素だと思われている。
 偏差値48程度で合格する可能性が高まる、長崎県の私立中学を、受験する計画だった。
            ◇
 1月中旬の或る夜、来客があった。
 シノリナの母上だった。
「がんしょ、まだだしていないんです」
 元・外国人の方特有の、どこかキョトッたような口調である。お客様でこういう口調は正直、苦手なのだった。大した問題ではないのだが、1言1句とその抑揚の変化と表情とジェスチャーなど、とにかくすべてに注意を傾けようと過剰反応してしまうため、エネルギーを多く費やしてしまう。元・接客業だったわたしは、相手の要望を正確に捉えようとする姿勢がいまだに抜けないのである。
 それで、とんでもないコトを仰ったのである。
「せつめい、よめなくて、がんしょだしていません。じゅくちょう、いますか」
 願書を出せていない、と仰っていた。
 もちろん、長崎県の私立学校の首都圏入試の願書受付の締め切りは数日前に終わっていたのである。
 いや、それだけならまだ良かった。実は、現場監督の方は、そうしたミスがあったことを既に電話で聞いていて、まだ締め切りになっていない学校の“お試し受験”を勧めていたのだった。
 で、どういうわけか、その現場監督がちょうど留守だった。
 しかも、母上が持参した願書書類一式に目を通すと、締め切りはその日だったのである。
「当日消印、有効………」
 それを確認して教室にかけられている時計を見た。18時を過ぎていた。
 唖然としていたら、「こんにちはー」とシノリナ本人が通塾してきた。
            ◇
 結局、わたしはそのとき受け持っていた授業を、そのとき手の空いていた講師に代わってもらい、願書書類に目を通して母親に代わったシノリナに世帯主の名や住所などを喋ってもらい、必要事項を代筆することになった。
(この間、母上はシノリナの隣で黙ってにこにこしていた。母上は日本語に不自由はしていないのだが、小学生のシノリナの方が頼りになった。容貌はあまり似ていないのだが、ひょっとしたら、こういったトボケたところが似ているのかもしれない)
 それがちょうど終わった頃、現場監督が戻ってきて、まだ窓口を開けている最寄りの郵便局と受験料振込みの為の指定銀行のATMを検索し、それから母上が慌てて自動車で願書を出しにいったわけである。
            ◇
 ところで、新たに受験することになった学校は大阪府にあり、その偏差値は、なんと55である。
 本来受ける予定だった長崎県の私立学校は偏差値48だった。1月の入試で合格して喜ぶ子供はあまりいないものの、失敗した場合のリスク(子供が悄然とする)はあるので、これは驚くべき挑戦だった。長崎県のこの学校はわたしの知る限り、不合格になった子を見たことが無かったが、今回のこのレヴェルはさすがに危うい。
 懸念したわたしは過去問題を探したが、この塾会社のデータには無いとのことだった。
 もっとも、試験は1週間後である。もう肚を決めるしかなかった。
 事故とは、この予定外の受験であった。
            ◇
 この場末の個別指導塾が参考にする一般公開の模試は、四谷大塚や日能研などのようなものではない。メジャーな集団塾の模試の問題と比べて、その問題のデタラメさは枚挙に暇が無い。公立中高一貫校と私立校の問題傾向はまったく違うが、それらを足して2で割ったようなものなのだ。「大味」と評したのは、こうしたところである。
 このような個別指導塾では「この模試の範囲に合わせてカリキュラムを進めていれば、全単元が終わる」といって、この模試の範囲(小5から小6の9月頃までの模試は範囲が単元名で発表されている)に合わせようとする。しかし、小6の4月の模試の範囲で、いきなり「2進法」などの進法変換の計算を応用題で出してきたりするので、基礎学力で劣る子の多い個別指導塾が、この模試の範囲に合わせてカリキュラムを進めることなど、不可能に近い。授業だけ進めることができたとしても、もちろんそれは、定着は想定外なのである。
 こんな背景があるからこそ、シノリナがラストの模試で偏差値60とはいっても偶然性(切欠になった理科は、出題へのヤマ張りが当たったこと)が強く、集団塾の子らは参加していないデータだから、わたしは彼女の実力について「中学受験生全体の中での偏差値60」ではまったくないと思っていた。考慮されていない集団塾の子らは、どの偏差値ランクであっても、この模試の競争者よりも手強いに違いないと思っていた。
            ◇
 しかし、わたしの予想は強い悲観傾向があることを疑われるような結果となった。
 偏差値55の1月受験で、シノリナは見事に合格を勝ち取ったのである。
 驚いたのはいうまでもないが、それでも、本試験は「国立Y校」と「私立M学園」と、なかなか際どいランクの志望校である。今回の合格では、それらの合否を占うわけにはいかなかった。もっとも、滑り止めの「私立M女学院」は間違いなくとれることだけは、確信できた。
 そして、2月の本戦である。
 2月1日――午前に私立M女学院、午後に私立M学園。
 結果――。
 私立M女学院を合格し、私立M学園は、不合格となった。
 よって翌2月2日は、午前中の私立M学園の2回目の試験に臨むことになったのだが。
 なんと、これで合格を勝ち取ってきたのである。
 ここまでくると、さすがに安心して見ていることができるようになってきたが、油断はできなかった。
 2月3日の国立Y校は、最近数年間の過去問題が無いのである。学校側が過去問題の公表を行っていないのだ。過去問題で傾向と対策を万全にして臨むことが出来ないから、出たトコ勝負ってヤツであり、本当の実力勝負ということになる。
 わたしの懸念はしつこいが、シノリナは無事、国立Y校も合格だったのである。

 未完の師弟、或いは 10

 12月の模試の結果は偏差値60で、苦手科目を完全にフォロー出来ていると解釈される値だったのだ。
 この時点で、第1志望校は、偏差値は58の国立Y校。これが、本命。
 第2志望は、偏差値61の私立M学園。これは、ダメもとである。
 第3志望として、滑り止めで、偏差値53の私立M女学院。
 「偏差値60」なら、偏差値60までの学校なら楽勝で、偏差値61の学校まであとちょっとだ、と思えるかもしれないが、そんなことはない。
            ◇
 そもそも学校ごとのレヴェルやランクをわかりやすくしている「偏差値」とは、学校側が発表しているわけではない。あくまでも、塾会社がその模試の結果とその合否結果を照合して作成したものである。例えば、その塾会社の模試で偏差値60をとって私立A校を受験した生徒が10人いたとする。そのうち8人以上が受かれば、その学校は暫定で偏差値60となる。偏差値59をとって同A校を受験した10人のうち、合格が8名未満だった場合、ここで私立A校のその塾会社の評価は「偏差値60」と確定するのである。
 偏差値60をとったからといっても、偏差値58の学校で受かる保証にはならないのは、模試はその学校の過去問題ではないからだ。過去問題や予想問題などを狙った大味なものだから、過去問題に似ていることはまずあり得ないのだ。加えて、その模試の特徴により、偏差値帯によってそのデータの信頼度が大きく変わることがある。つまり、その模試の受験者というサンプルが多い偏差値帯にしか、信頼度が発生しないということである。
 模試による偏差値は、参考に過ぎないのである。
            ◇
 2月1日より、中学入試が始まる。
 予定では、2月1日の午前に滑り止めの私立M女学院。同日午後に、私立M学園を受験。
 2月2日は、前日でダメだった場合に備えて、両校の2次試験の出願をしていた。M学園を2月1日で受かっていれば、休日となる。もし、2月1日にM女学院のみ合格だったなら、2月2日はM学園の2次試験に挑戦し。2月1日が全敗だったなら、2月2日はM女学院に再挑戦することになるわけである。
            ◇
 年末年始をわたしは毎回、中学受験生たちと過ごす。
 12月30日、31日、1月1日、1月2日、1月3日………塾会社といえども、特訓などを開催することは、まず無い。独自に子供を教室に呼び、練習に付き合うのである。
 この間に、算数などの基本問題を数打ちで練習する。もちろん、講義をするのではなく、子供たちに混じって、自分も同じ条件で演習するだけである。
 冬彦さんめいた子は、さすがに呼ばない。
 シノリナは来ると思っていたが、家族旅行で欠席した。
            ◇
 正月休み明け1月。
 中学受験解禁日は、地方によって異なる。12月に行われるところもあるし、1月に行われるところもある。よって、模試が無いこの時期は、地方の学校が首都圏の出張会場で開催する入試を受ける子が多い。いわゆる「お試し受験」である。
 基本的に、自分の偏差値より10低いところを受けて、確実に受かることを確認する。
 冬彦さんとシノリナは、1月中旬の長崎県の学校を受験する予定だった。
 その偏差値は、48である。
 かつて、偏差値74の冬彦さんは、現在それでも偏差値62で、シノリナは60である。
 だが。
 思わぬ事故が、起きたのである。

 未完の師弟、或いは 9

「例えば、ここに2つのケーキがあったとします。そこへ、お腹をすかせたチミとお姉ちゃんが帰ってくると、どうなるかね?」
「2つとも、わたしがもらいます」
「もっとも一般的な分け方はわかるよね……?」
「はい。でも、センセイがわたしのことを知らないんです」
          ◇◇◇
 結論から述べると、10月の模試を休んだシノリナの11月の模試は、算数の偏差値が15も伸びたのである。
偏差値42だったものが、57になった。
 10月の模試の時点で、小6単元(或いは中学受験単元)をすべて終えていたわけではない。むしろ、中学受験独特の文章題などはまったく手を付けていなかった。
 この時点で、国語と算数は、ほぼ完成と言える状態になっていた。理科と社会――とりわけ理科が問題となっていた。
 理科や社会は通常の授業で取っていないため(個別指導教室で、理科社会も授業をとれる家庭は多くない)、普段から基礎レヴェルの演習プリントを用意して、定期的に配っていたが、もちろん、小中学生の自力任せの勉強の結果は大概アテにならない。
            ◇
 11月の或る日、出勤してくると、現場監督が顔を合わせて開口一番で、「志望校に現実味が出てきた」と興奮気味に声を掛けてきた記憶がある。そんな大勝利の興奮がまだ冷めぬ12月第1週目に、最後の模試が催された。
 結果は、算数の偏差値が55。
 理科の偏差値が、59となっていた。
 なんと、理科の偏差値は18も伸びていた。
            ◇
 1年間の平均の偏差値は、54(4科計)となった。尚、12月模試の各科目の偏差値は、
 国語が67。算数が55。
 社会が54。理科が59。
 4科で偏差値60となったのである。4月で52、5月で53、9月で49、11月で55となり、12月で60である。これほどまで顕著な成績の上昇は、この場末の教室では始まって以来と言えるかもしれなかった。
            ◇
 ところで、シノリナは、あまり志望校について、考えていなかった。
 わたしは授業の度に、将来について考える方法や具体的な例を語ることが多く、それで結果として授業時間を潰すこともあったのだが、わたしについてくるような子供は、大概、こうした話を熱心に聴く傾向があった。
 シノリナは、どこから吹き込まれて来るのか8月頃から具体的な学校名を口走るようになっていた。ただ、1か月ごとに志望予定の学校名が変わるので、笑って聞いていたが、11月頃から飛び出してきた学校名に、さすがに度肝を抜かされた。
 今流行りの、公立中高一貫校の名前が出てきたのである。
            ◇
 11月の模試の後に、こんな話をした。
「カマキリは、確実に食べられる獲物だけを捕まえる。志望校も同じで、『合格して当然』の学校を受験すること。合格を運に任せるようなことになってはいけない」
 シノリナの4科偏差値は11月の時点で、55だった。
 第1志望校の候補となる学校の偏差値は、60弱である。
 12月の模試でこれに届かないようなら、志望校を諦めて1ランク下げるように言い渡していたのである。
 公立中高一貫校(これは県立の中等教育学校)はともかく、第1志望は国立の学校を選択しつつあった。これは国立大学の教育学部附属の学校2つで、Y校とK校である。Y校は偏差値58、K校は偏差値48である。
 模試の偏差値58キッカリなら諦めてもらうつもりであり、模試が返ってくる頃には、志望校を諦めてもらうための言葉を考えながら出勤していたものだった。偏差値58を上回るなど、容易なことではないからだ。
 それから先は、言うまでもない。
 偏差値60というラインは、微妙としかいいようが無く、よって、困ってしまった。
 志望校を諦めるように説得するわけにはいかないものの、「よし、合格できる!」と太鼓判を押すにも難しかったのだ。
 シノリナがにこにこと笑っている手前で、担当の方は渋面をつくるといった、シュールな有様となってしまったわけである。

 未完の師弟、或いは 8

(前回に続く)
 問題文を全部読むのではない。
 その問題文の中から、典型的な演習問題にありがちな常套句や定型句を拾うことで、記憶した単元を脳内から検索して回答していることが解ったのだ。
 つまり、自ら問題を把握しているわけでもないし、だからこそ、問題に添って考えることが出来ていないのである。
 偏差値42という結果を受けた模試の後、いくつか試してみて、これがどうも間違いないという確信に至った。
 なんて、器用な悪癖なのだろう!
 それで、現場監督に偏差値暴落の原因となった以上の問題点を報告したところ――。
 そのリアクションに驚愕を禁じ得なかったのである。
「え? それが普通じゃないの??」
            ◇
 現場監督いわく、
「あんな難しい問題、小学生なんか誰も理解してるわけないじゃん」
だそうな。中学受験の有名集団塾などは、反復練習の超過によって、問題パターンとその解法を記憶させて対応させる方針がどうも、一般的な指導要領らしい。限られた時間の中で子供の脳や性格が急成長することを期待することは確実でないから、彼らの理解を待つことなく、パターンを記憶させることで、得点を可能にする。
 その事実を知って驚愕して、それで、失望した。
 こんなやり方は、勉強ではないと思う。
 ましてや、何らかの研究にもつながらないし、それを自力で推進するための原動力となる知的好奇心を育てることにはまず、ならないからだ。自然体で疑問を持つ姿勢ができる時間も、理解するための時間も待つことなく、矢継ぎ早に記憶すべき例題パターンを押し付ける。
 こんなのでは、「学ぶ愉しさ」など身につきようが無い。
 しかし、彼らは「制限時間で具体的な結果」を考えなければならないビジネスだ。お金を払えば、レストランのように具体的なモノが必ず提供されるわけではない。塾商売の場合、お金と時間と責任を追及していくと、こうした方法が最も合理的で効果的なのだろう。
            ◇
 ともかく。
 シノリナにはとりあえず、小学4年生の文章題――それこそ、小学校でよく見かけるようなペーパーテスト(1枚には、1行か2行程度の文章題が4つ載っている程度の小学校の基本問題)を1枚5分で満点をとるように、練習させた。もちろん、大半はわたしも付き合った。
 当然、5分以内でもほとんど正解なのだが、やはり、1枚をなかなか満点をとれないのだ。
 ちゃんと文章を読んで、問われていることに添わなければならないからだ。1枚終わる毎にわたしが自らマルつけをし、その都度ダメ出しして反省を繰り返した。
            ◇
 それで、1箇月が過ぎた。
 時は、10月――。
 その月の模試を、これで勝負をすることになったのだ。試験範囲は、「小6の全単元」としか書かれていない。もっとも、中学受験のカリキュラムなど、もちろんすべて着手出来ていない。
 よって、良い点は期待していなかった。
 だが、たったそれだけの勉強(小4文章題ドリル)で、中学受験偏差値は50に近づくかどうかだけが、わたしにとっては興味であったのだ。
 期待と不安を大きく抱えたわたしには、またしても意外な結末が待っていた。
 シノリナは家庭の都合で、その月の模試を欠席したのであった。